【カンボジア】憧れられるって照れるけど勇気と自覚をくれるみたい。
大草原が好きだ。
そこに吹く風が好きだ。
けっこうな都会で育ったまえてぃーにとって、欲しくても届かなかった世界。
シェムリアップ滞在中お世話になったゲストハウス「KOCHIKE(高知家)」。
一泊4ドルから泊まれる日本人オーナーの宿です。
そこに存在する専属トゥクトゥクドライバーこと“サム”。
彼はとにかく不愛想だ。
朝日鑑賞と遺跡たちの周遊ツアーに連れて行ってくれたのだが、とにかく笑わない。
集合場所と時間を英語で伝えるだけ。
ホスピタリティの欠片もない奴だ、と思うまえてぃー。
が、そこに面白さを感じてしまうまえてぃー。
きっとそんな生徒たちとの楽しい思い出がそうさせてくれるんだと思う。
宿にいたサム。
トゥクトゥクの後ろから無意味に“ヘイ!サム”と話しかける。
“ヘイ!サム、まだか?”、“ヘイ!サム、雨だぞ”、“ヘイ!サム、夕日は見れるか?”などなど。
そしてそれに片言の「ニホンゴ」で答えるサム。
「日本語話せるやん」って言うと、「ベンキョウ、している」とのこと。
2日ほど過ぎ、またアンコール遺跡をサムのトゥクトゥクに乗って移動していた時、一緒に回っていた日本人の友達とビールを飲んだ。
サムとも飲んだ。
そしておもむろに出してきたサムの日本語参考書。
まさかのヒロコさん登場(まえてぃーの本名)
的確すぎる格言発見。
とあったので、
食べてみたら、、、
食べにくかった😂
観光を終えて、宿に着いてまた明日!みたいな会話をしていると、おもむろにサムが。
「イエニ、コドモ、イル。チカイ、ミニキテ。」というではありませんか。
「えーサム若いのに子どもいるのー!?」と驚くまえてぃー。
そしてすぐにまえてぃーを乗せて出発しようとするサム。
いや、怖いから。
専属ドライバーで安心とかあるかもしれないけどさすがに怖いから。
握力30あるけどきっと勝てんから。
お金もないから。
予定あるからとか言って断ろうとしたけど行く気満々のサム。
覚悟を決めて半ば無理やり一緒に回った日本人2人を誘いサムのオプションツアーへ。
観光ロードとは全く違う住宅街(暗い)をひた走ることたった10分。
本当に近かった。
が、ここで何が起こる?
子どもと関わらせて奪うは金かスマホかけん玉か( *`ω´)⁉︎
みんなでちょっと気合いを入れて覗いた先には・・・
コドモーーーΣ( ̄。 ̄ノ)ノ
いやちょっと待ってめっちゃいる。
予想では多くても3人だぞ。
なんだこの野球チームできそうな数はΣ(・□・;)!!
驚いていると奥の方から日本語が聞こえた!!
「どうぞ、中へ入ってください」とのこと。
笑顔のステキな男性が我々を迎えてくれると同時に聞こえたのは。
「コンニチハー」と言う子どもたちの声。
恐る恐る入っていくと、その男性が説明してくれた。
彼の名前はトレンさん。
「私は日本語が話せるので近所の子どもたちを集めて日本語を教えてるんです。今日はあなた方が来てくれて嬉しい。」とのこと。
最初は自分の子ども(3歳)に教えようとしていたらしいけど、みんなと一緒のほうが楽しいし、何より日本語を話せるようになることで将来の幅が広がるから無償で近所の子どもたちを迎えているとのこと。
しかも平日毎日∑(゚Д゚)!!
人としての鏡ですかホント…。
そして、サムについても話してくれました。
「彼は隣に妹弟たちと住んでるのですが、幼い頃にお母さんは病気で亡くなり、お父さんは他の女性と逃げました。彼が一家を支えなくてはならないのです」とのこと。
・・・。
・・・。
ごめんよサムーー。゚(゚´ω`゚)゚。
疑って悪かったーーー!!
私はなんて愚かな人間なんだー!!!
と頭を丸太でゴーンってやられました。
そして、そこにはサムの弟妹もいてみんな日本語を勉強していました。
うん、ここは何か力になりたい!!ってことで久々に先生モード突入。
「アイウエオ~ワヲン」の発音の練習。
ギャとかピュとか日本人でも難しい音を一緒に練習しました。
そして一対一で会話の練習。
か、かわゆい♡
「私の名前は〇〇です。」
「あなたのお名前は何ですか?」
「好きな色は何ですか?」
「私はカンボジア人です」などなど。
みんなとっても上手で、まえてぃーの英語よりはるかに上手だ…。
り、凛々しい♡
慣れてきたら「恋人はいますか?」とか聞いてくるから超かわいい。
「何歳ですか?」って聞かれたから正直にいうとブハッて笑われた。
おいっ!それはどういう笑いだコノヤローとか言いながら楽しく過ごしました。
どうやら「つ」が難しいらしい。
みんな「ちゅ」になる。
「あちゅい(暑い)」、「いちゅ(いつ)」。
笑ってしまうがきっとまえてぃーの英語「フレンズ」が通じないのも似たようなもんだろう。
10年前、ソチアが教えてくれた日本語の持つ意味。
その可能性は今でも十分生きているということが分かりました。
でもだからこそ、日本という存在を守っていきたいと思いました。
憧れられてるんです。
確かに今、カンボジアでは中国や韓国の勢いがスゴイです。
でもこうして憧れてくれてる人たちがいるのなら、下手にバカやって生きるのではなく、日本人としての自覚や誇り、そしてこれからも生きるぞっていう意欲みたいなのを待ってまえてぃーは生きていきたいです。
日本にいた時は「自分らしさ」や「自分しかできないこと」、「あの人と比べて自分はこうだ」、「自分との戦いだ」などなど自分(個人)について考えることしか無かった。
でも世界にいると、「自分は日本人」という集合的な意識が自然と出てくる。
そしてそれらは決してイヤなことじゃなく、今の自分を奮い立たせてくれる勇気と自覚。
彼らが大人になった時、「あーあ、日本語なんて勉強するんじゃなかった」とか「日本語なんて無意味っすよ」とか思われたくなーい(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)💦
「勉強して良かった」、「日本語のおかげで人生豊かになった」って思ってほしい。
そのためには彼らだけが頑張るのではなく、まえてぃー達が頑張って日本をキラキラさせていかなきやいけないって思いました。
今のニートまえてぃーにできること…??
そんな世界のこんなことをみんなに伝えていきたいです(´∀`)👍
それからも交流は続き、子ども達の合同誕生日会やサムのおススメスポットに連れて行ってもらったり、本当に良くしてもらいました。
ケーキを見てこの表情😂
釣り中🎣
兄弟みたいにみんな仲良い。
カエル🐸
めちゃ美味い😋
エビ🦐
めちゃめちゃ美味い😋
サムのトゥクトゥクで揺られ…。
ハスを食す!!
ピーナッツだ🥜
途中に寄ってくれた屋台は近所の子ども達が晩ご飯を買いに来てました。
スパイスの素晴らしい焼き鳥🐣
揚げパンとサラダのコラボパン🥖
ありがとうサム!!
やっぱり好きだな、カンボジア!!
【カンボジア】10年という時間。
待っててね遺跡たち٩( 'ω' )و
この10年、まえてぃーも自分の人生をいろいろ頑張ったんだよ。
たくさん笑ったし、たくさん泣いたし、車にもひかれたし、胃潰瘍にもなったけど、その分たくさんの歴史と人と出会うことができた。
経験もたくさんした。
“先生”って呼ばれることもあったし、“ノリで世界救いそうやな”とも言われた。
周りは結婚して家庭持ったりもしてるけど、私は私のワクワクにしたがって生きてたら戻って来ちまったよ。
アンコールの遺跡たちがいるところだ。
早速次の日の早朝からアンコール遺跡群に向かうことにしました。
ん?なんで早朝って?
朝日でしょーが朝日!!
アンコールワットーのドーンとした3本(5本柱)の上から朝日がズーンって昇るんですよ!!
朝日 at10年前。
ねー、なんか幻想的でしょう??
この朝日を見たくて、いや拝みたくて中国周遊以来の早起きに挑戦。
時刻は4:30!!
思ったより早ーい∑(゚Д゚)💦
はい、アンコール遺跡群に入場するにはチケットが必要、少し離れた所にあるんです。
そしてそこがスッゴイ並ぶとのこと。
10年前は事前に取ってたから自分で購入するのは初めての経験です。
朝日が昇るのは6:20頃。
うん、大丈夫でしょう。
チケット売り場に到着するとすでにもう長蛇の列が!!
ちゃっかり値段も上がっています。
きっと観光客が多いからかな。
そう、この遺跡群は現地の人が入場するのは“無料”なんです。
なんか「国民の憩いの場」って感じで良いですよねー╰(*´︶`*)╯
賛否両論ありますが、私は好きです、この考え方。
チケットには3種類あって、1日券(37ドル)、3日券(62ドル)、7日券(72ドル)となってまして、行けば行くほど“お得”になっております٩( 'ω' )و✨
まえてぃーは迷わず3日券を購入。
きっと3日は通う。
規模もデカいし、ずっと見てたい、話したい。
アンコールワットは今日も堂々としているかい?
アンコールトムは今日も笑ってるかい?
タプロムの木々は今日も生え続けているかい?
もう会いたくてたまらない(⁎⁍̴̆Ɛ⁍̴̆⁎)!!
そして、
到着!!
おー朝日は雲で見れず。。。
10年越しの再会とはいかなかったかー。
が、そんなことで怒ったりしません。
まえてぃーは自然には生かされてる側の者です。
正面から“久しぶり(*゚▽゚)ノ”って挨拶し、しばらく端の方で余韻に浸る。
なんかガイドブックで真正面から見てたのが360度VRで見てるって感じでしょうか…。
とにかく幻想的すぎて現実味がないんですよ笑
今回はドキドキが止まらないので、じっくりよりかはドバっと特に会いたい場所に猛進!!
そう、中央の一番高い塔の部分だ。
回廊をめぐり中央の塔の部分へ。
あそこ、登れるんですよ!!
石の階段があってそこから登るんですけど、なんてったって800年近く経ってるから石もすれて滑りやすいの本当。
横にぶら下がってるロープだけが頼りで、スニーカーじゃないとキツかったなーって思い出を掘り起こし進んでいく10年後のまえてぃーはサンダル笑。
到着!!
と同時に衝撃∑(゚Д゚)!!
登れへんやんけーΣ(゚д゚lll)💦
なんで??
10年前はどっからでも登れたよ!!
アワアワしていると一つの方向へ向かうツーリストたち。
どうやらとある部分に立派な階段が設置され、そこからのみ登ることが可能とのこと。
それが、
コチラ!!
あの石階段の部分にプレハブの木製階段。
長蛇すぎるΣ( ̄。 ̄ノ)ノ
頂上はあまり広くないので一度に登れる人数も決まってるとのこと。
ので、この列で30分待ちくらいですって。
10年。
10年。
高校サポート校で「倫理」を担当していた時に「日本人のものの考え方」という単元があります。
そこで、“諸行無常”ということを伝えていました。
「この世に存在あるものは一瞬とて同じものはない。変わらないものなんてない。人も街も時代も。」
生まれる命があれば消えていく命もある。
久々に地元に帰ったら、変わってる景色がある。
あんなに大きな父親の背中が、急に小さくなったように感じたり、あんなに夢中だった泥遊びを今では全くしなくなった。
“全ては移り変わる”
そしてそこに儚さを感じ、美しさを感じる日本人。
四季の移り変わりなんてまさしくそうですよね。
そして、この遺跡たちも。。。
諸行無常…頭の中でこだましました。
聞くところによると『時間』による劣化と『観光客』が増えたことによる劣化と安全確保のための対策だとのこと。
だからこそ!!
まえてぃーは登らなかった。
まえてぃー登ったことある。
まえてぃーが登らないことで今後誰かが1人でも多く、そして長く登ってあの感動を感じることができるのなら登らなくて良いやと思い、下からずっと見上げてました。
偉大というか荘厳というか…。
ステキでした。
ちなみに10年前は…
こう笑。
そして、アンコールワット周辺の遺跡たちにも挨拶へ。
ここでもやはり月日を感じずにはいられない光景がありました。
10年前。
10年後。
10年前。
10年後。
今。
今。
柵だらけだ…。
崩れたりしたりしたら危険だし、遺跡をありのまま残したいって保護の観点からもこのような形に変化していました。
もうあのドアの奥へは行けないのか。
もう自分の手で木々を抱きしめることはできないのか。
少しの寂しさもありますが、逆に!!
昔行っといてよかったーー\٩( 'ω' )و //
っと思ったまえてぃー。
どうもすみません。
そして最後にはもっとサプライズが!!
朝日を見たんだから夕日も見たい!!
10年前、プノンバケンという場所から見た夕日を見にいきました。
プノンバケンは遺跡たちの仲間で山の上にあります。
山をざっくり切り開いて出来た傾斜のキツイ土の階段を登って頂上まで行ったのですが…。
道になっとるー!!
とても緩やかな山道。
とてもしんどくない山道。
なんてったって!!
象も登れる∑(゚Д゚)!!
いやー整備されるもんですなぁ💦
時間はかかるけど緩やかだし、これなら子どもやお年寄りも登れるもんね。
と、歩いていたら…!!
これ絶対そうーーΣ( ̄。 ̄ノ)ノ
まえてぃーが10年前に登った階段!!
うっすらと段々になってるの分かります??
ここを両手使ってハァハァ言いながら登ったんですよ。
今はもう芝に囲まれてなんかもう…時の変化をこんな具体的に示してもらえるなんてまえてぃー幸せだわよ。
ある意味まえてぃーにとったらここも立派な“遺跡仲間”さ。
そして頂上に着きました。
こんな山の上にこんな立派な建物。
遺跡の上まではちゃんと階段できてました。
あとは待つのみ。
上から見るアンコールワットもどんだけ緑の中にあんねん!っていうのが分かって良いですね。
そして、、、
残念!!
朝日と同じく夕日も見れず。
あちゃー🤷♀️ですが、「お前もう前に見たから良いやろ」って言われたことにしようと思います。
今回は10年という時の流れによる「変化」について考えてみました。
それを進歩ととらえるか、後退ととらえるかは自由だと思います。
でも、この10年でまえてぃーもきっと変わった。
良くも悪くも変わってきたはず。
歴史たちだけに変わるなっていうの、変ですよね。
たとえそれが人の手によるものだとしても。
何百年も時を超えて存在している物言わぬ遺跡たち。
それから見たらたった数十年しか存在できない人間なんて“ちっぽけ”かもしれない。
でも、そんな“ちっぽけ”な人間たちが、この偉大な遺跡たちを築き上げた事実は、きっとどんなに時が経っても変わらない。
過去のちっぽけな人間たちが築いた偉大な遺跡たちを、その空気感と共にぜひ会いに来てください。
そしてこれは、必ずしも『永遠』ではないから。
『今』を見つめ受け入れる。
そして『未来』のために何ができるか、何を伝えられるかを考えた10年後の今日でした。
が、『今』を観れるのは今だけですよ!!
『明日』にはまた表情を変えるんですから( ̄  ̄)
“諸行無常”。
仏教用語ですが万物に共通する考え方。
ぜひここカンボジアで、悠久の遺跡たちと会ってみませんか??
【カンボジア】好き嫌いは...無いんです‼
よく初対面風な会話をしていると必ず出てくるワード。
“嫌いなもの、あります⁇”
食べ物に関して言えば、“無い”と即答するまえてぃー。
が、万物で良いというならば“ある”。
そう、“ゴキブリ”こと【G】である。
彼らはなんてったって強い。
そしてテカテカしている。
子どものころコタツで寝てたら耳元でカサカサ音がしたのでふと手をやるとそこにはまさしくGがいたのである。
G----!!と絶叫したのは今でもトラウマ。
そして、岐阜で一人暮らしをしていた時、家に帰るとリビングにGが突如現れたのである。
マンションは出ないんじゃないのかよ~ヽ(;▽;)
でも一人だしどうしよう…。
ビジネスホテルに泊まるか先生やってる学校に泊まるかまで超真剣に悩み、まえてぃーのとった行動は…!!?
“業者に電話(`_´)ゞ”
害虫駆除の会社をネットでソッコー調べてただただ電話☎️!!
トゥルットゥルッ・・・ガチャ。
まえてぃー:「あ、もしもし!ゴキブリ退治してほしいんですけど(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)」
業者さん:「かしこまりました。お日にちはの希望はございますか?」
まえてぃー:「い、今です今!!今出たんです!!」
業者さん:「・・・。大変申し訳ございません。当日受け付けは17時までとなっておりまして明日以降でお願いしたいのです。。。」
ただ今の時刻・・・20:00。
チーン。。。
まえてぃー:「・・・うええええええ!!!一人でやっつけろってことですか!?それまでGと一緒に過ごすのですか。゚(゚´ω`゚)゚。」
業者さん:「申し訳ございません。。。」
ここでごねたら恥ずかしすぎるという理性は保ち、明日の仕事終わりの20時に来てもらうことを約束し、いざ!!
まえてぃーv.s.ゴキブリ。
あー実家にいたときはスーパー母ちゃんが瞬殺してくれてたんやけどなー。
が、ここは勇気を出して一肌剥けろということなのだろうか。
右手にキンチョール、左手に下敷き(飛んできた時用の盾のつもり)を装備し、気を紛らわすためにテレビは大音量でかけ出陣。
は、早い!!
そしてシューって2.3秒かけるだけでは途絶えない生命力。
押し入れに入ろうとしたり冷蔵庫の下にもぐろうとするのも何とか阻止!
ここで見失ったらGがどこかにいるかと怯えながら生きていかねばならん。
なんとしても今しとめるのだー!!
と、気分はまさにキングダム。
20分は格闘したであろうがついに!!
勝ち取ったのである!
まえてぃーが勝ち取ったのではゴキブリの首ではなく安息の日常。
これで、ゆっくりできる。。。
が、ここからだったのだ。
「この後の処理、どうする問題」である。
掴んでどこかにやらねばならぬ。
掴む?どうやって?
ゴミ箱?
いや気配を感じるやん。
チーーーーン。
場所はリビング。
全然くつろげないが仕方あるまい。
まえてぃーのとった行動は!?
“新聞紙”をかける。
掴むなんて無理だー。゚(゚´ω`゚)゚。
明日には業者が来てくれる。
なんとしても耐えるのだ、まえてぃー。
の、ようにしてとにかく見えないようにして一晩過ごしたのである。
今思えば、ゾンビのように復活してきたら万事休すだっただろう。
次の日、帰宅と同時に救世主登場。
事情を説明すると業者のおっちゃん。
新聞紙ごとGを掴み仕事袋へ。
た、頼もしーーーー٩( 'ω' )و!!
そして、他にもいないか調べてくれた。
調査の結果、おそらくエアコンとか空調の隙間から侵入したんだろうとのこと。
そんな狭いとこからウニョ~って入ってくるのかよ!と鳥肌もの。
まえてぃーがあまりにびびっていると、帰り際にそのおっちゃんが。
「これお守り代わりにあげるよ」
と、差し出してくれたのは・・・
「キンチョール プロ用」
プ、プロ用!?
まさかのキンチョールにプロとアマがあるなんて∑(゚Д゚)!!
使い方を聞くとベランダとかドアの隙間とかにシュッーっと流しておくとなんと半年間くらいはGが寄り付かないらしいのだ!!
なんとも頼もしい!
なんとも神々しい!
その気持ち、FFでいうなれば飛行艇を手に入れた瞬間!!
その気持ち、ドラクエでいうなれば洞窟のめっちゃ奥でギリギリのライフでラスボスを倒し帰りどうしよーってなってるところ自動的に町まで移動してくれた瞬間!!
ほどの感動だったのである。
何度も何度もドリカムかっていうほどおっちゃんにお礼を言い、まえてぃーは本当の安息の日常を取り戻したのである。
その金額、
“6000円”
安い!!
ヒノキの棒しかもっていなかったまえてぃーにとって6000円で安息が手に入るのなら明日以降カップラーメンでも構わない。
次の日、授業で生徒たちに伝えた。
「みんな、まえてぃーは安全と安心は、金で買う」
対象が対象だけにすごいどよめきが起こったのは言うまでもない。。。
と、なにをカンボジアまで来てつらつらと書いているのだと思うかもしれない。
が、こういうことだ
た、食べ物になっとるー!!
Gだけでなくヘビもクモもいろいろ売ってるー。
食べ物として。
衝撃を受けたまえてぃーのとった行動は!?
サソリを食べる。
Gじゃないんかーい!!
はい、無理です。
Gは無理です。
想像した感触だけでも無理です。
「テラフォーマー」を読むだけで精いっぱいなんです。
今、どうなってるんやろう。。。
とにかくサソリでもけっこう勇気やったけど、食べてみた。
ってゆうかかじってみた。
そしたら。。。
美味しかったー!!
味付けによると思うが香ばしくて気持ち“エビ”でした。
黒いエビ。
あ、ザリガニか。
かくしてまた一つ経験を積むことが出来た。
カンボジアに来た際はぜひお試しを٩( 'ω' )و
【カンボジア】カンボジアだった理由。
中国やフィリピン。
これまで一時帰国を通し世界を旅していましたが、ここカンボジアからしばらく日本には帰らず、長く旅をしたいと思っています。
つまり、ここカンボジアが出発点です。
ってことにしてください!
11年前、私は初めてカンボジアへやって来ました。
その時まえてぃー大学4年生。
卒業旅行でした。
周りの多くがハワイやグアム、オーストラリアなどの“青い海”“青い空”を求めて飛び立ちましたが、私が選んだのは・・・
“ロマン٩( ᐛ )و‼︎”
でした。
“ロマン”といえば“冒険”、“冒険”といえば“インディージョーンズ”、“インディージョーンズ”といえば“遺跡”、“遺跡”といえば“アンコールワット!!”だったのです笑
当時、まえてぃー世代にはそこまで有名ではなかったアンコール遺跡群をテレビで見たか雑誌で見たかで覚えており、「カンボジア行きたい!」と思い友人Yちゃんに話したところ、なんとなんと「うちも行ってみたい~」と快諾してくれ2人で旅立ちました。
すると、、、
11年前のアンコールワット(2006年)
わぁーーーお\(//∇//)\✨
出身が京都なので、歴史的建造物には幼い頃からたくさん触れてきました。
なんなら実家の周りは『寺』だらけ。
有名どころの「清水寺」も「金閣寺」も「平等院」も「東寺」も「伏見稲荷」も「嵐山」も全部自転車で行ったことあります( ̄^ ̄)
それでも!!
アンコールの遺跡群は本当に圧倒されました。
「すごいなー、すごいなー」
「ラピュタみたーい」
「インディージョーンズの世界だー」
遺跡の中はまさに“迷路”。
岩と岩を突き破るほどの力強い植物。
崩れ落ちそうな階段や岩場を両手を使って登る経験。
そのどれもがこれまでには無いほどのまえてぃーの「好奇心(ドキドキ)」と「探究心(ワクワク)」を掻き立ててくれました。
「あーこれで社会人生活も頑張れそうだー」と感無量のまえてぃー。
が、
やたら現地の人から声をかけられる。
「ニホンゴ、オシエテクダサイ」
「ニホンミタイニ、ナリタイ」
「ドウヤッテ、ハッテンシタ?」
道を歩いていても、遺跡観光中も、日本人と思うとやたらと声をかけてくる。
しかも“商売とは関係ない”ことを聞いてくる!!
それはまるで“親日家”とはちょっと違うような。。。
すると当時まえてぃー達をガイドしてくれたソチアさん(現地人・日本語ガイド)が話してくれた。
カンボジアを訪れたのは2006年。
それからさかのぼること30年。
1976年から1979年の3年間、カンボジアでは言葉では言い表せないほど大きな国家による大量虐殺の歴史がありました。
知識人は必要なく、農民こそが真の国民だという名目で公務員・医師・教師・法律家、そして外国へ行ったことがある人や眼鏡をかけている人、そして何の罪もない人々がいわれもない罪をかけられ、多くの大人が、そして子どもたちも犠牲になりました。
詳細はまた後日書きますね。
それにより人口は激減。
その国家による弾圧が終了した時の全人口の85%は14歳以下の子どもでした。
つまり、まだ子どもであるはずの若者たちが、国づくりをしなければならなかったのです。
ソチアは言います。
「日本は戦争に負けました。
原子爆弾も2回も落ちました。
焼け野原だったでしょう?
でもそれから20年後には、世界で類を見ない豊かな国になりました。
だから、カンボジアの人たちは日本から学びたいんです。
そして、日本語が出来ると仕事が手に入ります。
日本からたくさん観光客が来てくれるから、ガイドの仕事ができるんです。
そしてそれは“生活の安定”を意味します。」
まえてぃーの知らないカンボジアがそこにあった。
予想もしなかったカンボジアの歩んできた道があった。
ただの「ロマン溢れる魅惑の地」なんかじゃなかった。
とてつもない大きな負の歴史を背負い、カンボジアは生きてきていた。
彼らからの質問に、当時の私は何も答えられなかった。
どうやって戦後復興を成し遂げた?なんて分からなかった。
「おじいちゃんとおばあちゃんが頑張った」くらいしか答えられなかった。
とても恥ずかしかったし、「大学までいってダセーな自分」って思いました。
それと同時に「知りたい」って思いました。
カンボジアのことも、日本のことも。
ただ、おじいちゃんやおばあちゃんが頑張って作ってくれた土台の上に、何も知らず、乗っかって生きるのはイヤだって思いました。
そして社会の先生になれたのは、偶然だったかもしれないけど、カンボジアのおかげで、いろんなことに深く興味を持てたし、伝えることもできてきたんだって思います。
本当にカンボジア、ありがとう。
だから今、世界一周はこの国から始めたい。
10年たってちょっと成長⁉︎したまえてぃーをみせたい!!
先生としての“道”と“縁”を作ってくれたこの『カンボジア』から、もう一度歩みたいと思ったから、やってきたんだと思います。
はてさて、10年経ったカンボジアはどんなかな〜╰(*´︶`*)╯
とにかく、コーヒーは美味しいよ☕️
【カンボジア】本日は日本なり。
「『日本』って漢字で書けます」。
そう話しかけてくれたベトナム人の男の子。
日本に留学して1年くらいだそう。
1年で⁉︎って思うくらい本当にペラペラ( ̄O ̄;)
そして書いてもらいました。
『日本』と!!!
おしぃーーーー(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
むしろ正解にしたい、あ、でも「本日」は「本日」で意味があるからやっぱダメー!!!
『漢字はとても難しいです』とのこと。
いや、しゃべれるし全然オッケーでしょう。
留学してもなかなか日本人と話す機会がないと話す彼。
せっかくこんな小さな島国にわざわざ来てくれて、話す人口も少ない日本語を勉強しようとしてくれてるのだから力になりたい!!
そう思いまえてぃーは彼に日本語を教え、彼は英語とベトナム語をまえてぃーに教えてくれました。
ちなみに英語は独学だそう。
外国にいると本当に彼らの学習意欲の高さに毎回驚かされます( ̄^ ̄)
そして毎回、「何やってんだ私。。。」ってどん底に突き落とされます。
もう突き落とされるのにも慣れたので、這い上がるついでに英語の勉強は続けて行こうと思ってます。
独学で(*´꒳`*)
独学なので合ってんのか間違ってんのか分かりたくても分かりません。
が、
答えはきっと旅の中で出てくるでしょう。
「習うより慣れろ」
モヤモヤしてるくらいなら飛び立て、生徒たち。
学び合えるっていいですね。
【カンボジア】雨ニモマケズ、カンボジア。
フィリピンのことをまだまだ書きたい中、更新が途絶えてしまってごめんなさい💦
日本へチラッと寄って次の国へ向かいます!!
と言いたいところですがまさかの台風が(*⁰▿⁰*)??
この日、台風💨の影響で実に数多くの飛行機が欠航になっている✈️。
あーきっと飛ばないだろうな…と思いながらエアアジアの飛行状況を確認。
フライトは16時40分。
大阪はちょうど台風の目の中。
もちろん暴風警報発令中。
が、いつまでたっても欠航情報が来ない。
欠航便は増えてく一方。
でもまえてぃーの乗る飛行機は飛ぶ予定を崩さない。
はて(*⁰▿⁰*)??
とにかく空港に行く。
エアアジアのカウンターに並んでいると、隣の航空会社のカウンターにざわめきが。
チェックインを並んでいる乗客たちに向かって偉い人が出てきた。
『この便は欠航になりました!つきましては…』などとアナウンスがされた。
ほらー。
やっぱり飛ばないよねー。
むしろ納得。
飛ぶ方が怖い。
そして気づけばこの状況。
生き残っている…。
意地でもまえてぃーを飛ばしたい様子💦
いや、逆に怖いから( ̄◇ ̄;)
閑散とした空港内。
なんも見えない暴風雨。
飛行機って風で揺れるんだよ(;´д`)💦
そして、、、
飛んだ( ̄O ̄;)!!!
国際線は飛んじゃったら大丈夫🙆みたいなこと聞いたけどやっぱ怖いから💦
でも飛んじゃったもんは仕方ない!
怖いからすぐ寝た笑
そして、、、
乗り継ぎを経て着いた先は、、、
カンボジアー!!!
全然カンボジアっぽくは無いですが、カンボジアのプノンペンにやってきました。
10年前、学生の頃の卒業旅行とていしてやって来たこのカンボジア🇰🇭。
どうしてまたやって来たのか。。。
頑張って伝えるので聞いてもらえたら嬉しいです♪( ´▽`)