卒業を迎えたあなたに。
“この度はご卒業おめでとうございます”
いつもテキトーで、先生らしくない服装で、「にぎやかし」と「ひやかし」だけが取り柄だったまえてぃーが、実は使える「敬語」と最高の「尊敬」を生徒に送る日があります。
それが、
“卒業式”
私の所属していた通信制高校は2学期制で、3月と9月に卒業式がありました。
9月卒業は、もちろん人それぞれですが、個々の理由により卒業時期を延ばしたり、前の高校を退学して編入で入学してきた子が多く、いわゆる“訳あり”の中でも“訳あり”と呼ばれる子たちかもしれません。
でも紆余曲折した彼らの高校生活の中に、人知れずの努力や苦しみ、葛藤があったことを少しですが知っています。
そして、彼らが迎える“卒業”という日が、とても意味のある日だということも。
今日はそんな卒業を迎えた彼らを心の底から称えたいー!!
“先生、卒業できました”
遠く離れた外国で、あなたからの嬉しそうなメッセージを受け取りました。
入学(転校)当初は、新しい生活を頑張るんだ!と意欲に溢れていました。
でもその途中で、卒業という日を全く想像できないくらいの日々と葛藤がありましたね。
今を生きるだけで精いっぱいだった。
「何のために生きるのですか?」
「僕はもう先生の期待に応えられることはできません」
期待を押し付けたつもりなんてなかった。
私は、あなたより年上で、少しだけ長い時間を、あなたより生きてきました。
少しだけ多い経験を、あなたよりしてきました。
少しだけ多く知識もあったかもしれません。
でも、あなたのことを理解する心が、あの時の私にはありませんでした。
あなたは止まった。
それは人から見たら「挫折」と呼ばれることかもしれません。
「人生終わった」
そう思えたことだったかもしれません。
でも、あなたはあなたでした。
人より多くを考え、誠実に生きようとしていた人でした。
人より多く自分を苦しめ、人より多く他人に優しい人でした。
だからこそ、暗い時間の中でもあなたはあなたの中に光を、希望を見出すことが出来、再び立ち上がることができたのだと思います。
「1人じゃない」とか言われたって、キレイごとにしか聞こえない。
「生きてたらいいことある」なんて言われたって、今までそんなこと無かったし、これからだってきっと無いって思うでしょう。
「あなたが生きてくれてるだけで嬉しい」って言われたって、じゃああなたのために生きなければならないのかと自分をとことん追いつめて、苦しむこともあるでしょう。
それでも、この世界は生きる価値があるの?
私は今でも分かりません。
でも、どんな人も笑顔になる瞬間があるということを私は信じたい。
そして、そんな瞬間が私は好きです。
“そんなゲームあるの?”
“そんな考えがあるの?”
“そんな生き方があるの?”
“そんな景色があるの?”
“そんな人になりたいなぁ”
新しいものを発見した時や気づいた時、人は無意識に笑顔になります。
私はそれを「生きる意欲」だと勝手に思って、それを一緒に見つけることが先生の意味なのかなって思っていました。
“あなたはどうしたい?”
こればっかり聞いていたので「先生らしくない」、「もっと導けよ」って言われたことありました。
でも出来なかった。
私に人の人生を決める資格なんてないんです。
たとえ若く未熟な子どもだったとしても、自分で決めるという生き方をしてほしかった。
限られた選択肢を可能な限り広げ、自ら切り開く力があなたにはあると思ったから。
そしてそれは、
誰とも関わりたくないと決して部屋の扉を開けなかったあなたも、
自分を傷つけ、血を流すことでしか生きる実感が持てなかったあなたも、
強がってばかりで布団の中ではずっと泣いてたあなたも、
ケンカにバイクに明け暮れていたあなたも、
あまりにも長い時間学校に来なかったので自分が在籍していることすら忘れてしまっていたあなたも、
みんな、進む意思と力があったからこの卒業という日を迎えられたのだと思います。
そうじゃないと通信制高校を卒業することは難しいですよ。
この日はきっとこれからのあなたに自信という土台をくれます。
でも、覚えておいてね。
完璧な人生なんてない。
思い通りの人生なんてない。
これから進む道も、きっと予想できないことばかり。
私には7月に会おうねと約束をしたまま、眠り続け目覚めない友達がいます。
眠ったままのパートナーが目覚める日を、今か今かとずっと側で待っている友達がいます。
生きることに悲観し、全ての縁を自分から切った友達がいます。
その力になりたくても、何もできない自分に苦しむ友達がいます。
夢と現実のはざまでもがく友達がいます。
一歩踏み出したところで上手くいかないと泣いている友達がいます。
そして、私自身も生きるたびに何もできないことを痛感し、イキイキ見せるだけで精一杯で、このままでいいのかと不安を背負い日々を過ごすこともあります。
でも、そのどれもが“生きる”ということです。
それぞれの自分を抱えながら歩くということが“生きる”ということだと思うのです。
他人と比べたり、勝手に自信を無くしたり、なるようになれと自暴自棄になるのもいい。
でも、どんな理不尽で、不平等だと思う状況も、この世界では起こりうること。
前向きに生きろなんて言いません。
時にこの世界は、自分には眩しすぎる時もある。
眩しい時は目を覆うでしょう?
雨が降ったら傘をさすでしょう?
雷が鳴ったらおへそを隠すでしょう笑?
自分を守ったっていいんです。
私自身も、授業で言ってたと思うけど、 同窓会の会場に入るのに勇気がなくて10分20分も会場の前でウロウロしてたようなチキンです。
でもチキンはチキンなりに、ネガティブな奴もネガティブなりに生きてくことはできるんです。
みんなが過ごした高校生活は、人よりちょっと違うものだったかもしれない。
人よりちょっと時間をかけたかもしれない。
でもだからこそ、見えるものがあったってこと、きっともう分かってると思う。
どんな道でも大丈夫。
どんなペースでも大丈夫。
どんなあなたでも、きっと大丈夫。
だからどうか、自分の全てに、人生の全てに悲観しないで。
人にはその人だから見つけられる道も、進む道もあるんですから。
世界は広いってこと、SNSだけじゃ分からないこと、今、たくさん見ています。
それ全てが“可能性”になってくれてると思います。
そして、保護者のみなさん、本当にこの日まで“頑張らはった~!!”
我が子が生きてるのか死んでるのか分からず、鍵穴からのぞき込んでた日々もありましたね。
他の同世代の子と比べて、どうしてうちだけ…と涙したこともありましたね。
近所の人や親戚からの目が怖かったり、もうこのまま一緒に死ぬしかないんじゃないかと思ったり…そう吐露されていたこともありましたね。
でも、
“生きてて良かった”
みなさんの宝物は、私たちの予想よりもはるかに強く自ら輝く宝物でした。
まだまだスタート地点なのかもしれませんが、“信じる”ことと“待つ”ということの暖かさを、私はみなさんから教えてもらいました。
そして何よりも、もがきながら、苦しみながらも生きようとする彼らの姿に、私も自分の力を、時間を、そして命を、精いっぱい使いたいと思え、新しい世界に出ることが出来ました。
いつだって、私の背中を押してくれる原動力はみなさんの宝物たちです。
本当に、出会わせてくれてありがとうございました。
遠くから無責任ですが、ここラオスから感謝とエールを送ります。
そして、生徒諸君!!
これは卒業式を迎えるたびに言ってきたことですが。
ぜったい親より先に死んだらあかんよ。
色んな関係や想いがあるのは分かってる。
でもぜったい生きてください。
大人になることが出来なかった子がいます。
大人になる子を、見ることが出来なかった親がいます。
どう頑張っても限りある命です。
使いに使いまくって生き続けてください。
親が先に亡くなった人もいると思います。
その人は、親が見られなかった景色をたっくさん見てください。
ぜったい幸せになってください。
ぜったい自分で幸せを見つけられる人になってください。
その力が、きっと今のみんなにはあるから。
本日は本当にご卒業、おめでとうございます。
みんな大好きだー!!!
まえてぃーより
ステキな誕生日をありがとう♪