【カンボジア】住むように旅して、旅するように住んでみて思ったことはやっぱりコレ。
『住むように旅をする。』
この響きに憧れて、“いつか”“いつか”を連発していた去年までの私まえてぃー。
漠然とした思いでしたが、意を決して実行してみて本当に良かった。
もともと海外旅行は好きでした。
高校生の頃にオーストラリアにホームスティ体験をしたのが始まりでした。
そして、英語が話せなくても身振り手振りで何とかなって、すっごい楽しかったから、
“人類みな兄弟ですね~。だから英語は勉強しなくてもいいって思いました”って先生に言ったら怒られました笑。
もちろん今は勉強しなかったことを後悔している…。
そしてそこからカンボジアやインドネシア、韓国に中国にフランスにドバイにカナダにアメリカなどなど。
ちょっとでも長い休みが取れる度に出かけていました。
イコール、日本が好きじゃなかった。
“仕事ばっかで疲れる”
“気を遣ってばっかで疲れる”
“誰も知らないところに行きたい”
とか思ってたわけです。
でも、
それは「日本」が悪いんじゃない。
本当は自分でも分かってた。
改めて思う。
日本で上手く息が出来ない“自分”が嫌だっただけ。
“逃げ”の場所と、“知らない居場所”を求めて海外に行ってただけでした。
実際、仕事を辞めて時間的な拘束や、するべきこと、求められる責任が無くなってカンボジアに1か月の滞在。
出会う人には「いいね!」とか「羨ましい」とか「チャレンジャーだね」って言われました。
自分でもそう思います。
でも、それと同じように「帰って仕事をする人」や、「ボランティアで頑張ってる学生」や、「ここカンボジアで働いている人」を見るたびに、羨ましく、カッコいいと思う自分がいました。
“何かのために頑張ってる”
“誰かのために頑張ってる”
“誰かに必要とされている”
自分もそんな中にいたはずなのに、今は遠く離れてみている。
そして、そんな人たちを、羨ましく思っている。
“無いものねだり”
圧倒的な“無いものねだり”を実感。
でも。
何もすることを強制されない今だったからこそ気づけたこと。
その中で、自分の旅をどんな風にデザインするかをまた考えていこうと思います。
出会ってくれた人たちに“オークン”
(感謝)
ロシアンマーケットより。