日本もみんな優しいけどここまで外国人にできるのだろうか…(;_;)
この1枚のレシートに勝てる優しさがあるのだろうか。
これまでも大なり小なりいろんなトラブルはあったけど、あまりどの国のどの街でとは言ってこなかった。
もしそれを言ってしまったら、
きっとその国にたいして、
“怖い”、
“危ない”って
先入観を持たせてしまうと思ったから(*´ー`*)
そして、
何よりも出国前、
まえてぃーの耳には世界危険説が数多く流入してきていたので、
こんなことを言って、
「ほーら、やっぱり世界は怖いじゃない」とか、
「これに懲りて大人しく帰ってこい」とか、
「日本が1番、日本が」みたいに、
「世界」に対してや「旅」に対して否定的な意見が聞こえるのが怖かった。
もちろんそんなのは自分次第だけど。
でも!!
今回の件が起こったのは「ポーランド」です!!
なんとものんびりしてそうな名前の持ち主の国、「ポーランド🇵🇱」。
なんでそんなに国名を大々的に言うのかというと( ̄^ ̄)
ポーランドで負った悲しみは、ポーランドが癒してくれるからです(о´∀`о)✨
本当に助けられました!!
一緒に被害にあったドミコは、
自分のことでも大変なのに、
私の分まで警察に状況を説明してくれたり、疲れたろ?って言って夜食を差し入れしてくれた。
そして、
警察へは2回も一緒に来てくれて、
「通訳がいないから対応できない」 って冷たくあしらう警察官たちに食らいついて、英語の通訳を呼んでくれるよう説得してくれた。
本当に私のヒーローだ。
これからも感謝してもしきれないだろう。
見送りまでしてくれたドミコ。
日本に来たら盛大にもてなしたい。
その夜チェックインして来たレイモンドは、
話を聞くなりずっと踊ったり歌ったりして、終始まえてぃーを笑わせてくれた。
お互い言葉は分からないがなぜか終始爆笑。
私はこんなに全力で、なりふり構わず人を励ましたことがあっただろうか。
今はイギリスに住んでいるマットは、この悲しみが癒えるようにと祈ってくれたり、イギリスの魅力や格安の回り方を教えてくれて、ますます旅がしたいと思わせてくれた。
チェックアウトをしたものの、次の日も警察に行かなければならなかったまえてぃー。
でももう宿は満室。
「リビングのソファーでよければ朝まで使っていいよ」と無料で泊まらせてくれた宿のみんな。
確かに「お宅の宿で盗まれたんですけど!」って言ってやりたい気持ちもあったが、とても前向きに居場所をくれたので言わなかった。
でかいソファーで映画見放題🎬
そして朝、ほぼ一睡もしてないまえてぃーに差し出された1枚のレシート。
「君の分払っといたから一緒に食べよう」
大学生のマルコが宿の朝食バイキングをご馳走してくれた。
新鮮な野菜にフルーツにサンドイッチに紅茶。
たくさん話してたくさん食べた。
そして、自分は学校があるからと先に出て行った。
果たして自分が大学生の時にこんな優しさを発揮できただろうか。。。
暖かさで涙が出そうだった。
気分は『千と千尋』の千尋がハクからもらったおにぎり食べるシーン。
そして警察の事情聴取。
息を切らして走ってきてくれたユースケサンタマリアに似た通訳さん。
『お待たせしてごめんなさい。ポリスレポートを完成させましょう』
と言って、部屋に案内してくれた。
どうやらドミコが受付に頼み込んで呼んだ英語の通訳さん。
今日休みだったのに呼ばれて来てくれた。
聞き取りの刑事さんは保健室の先生みたいな優しい女の人だった。
まえてぃーのカタコト英語もニコニコしてくれて、1時間もしないうちにレポートを完成してくれた。
ユースケサンタマリア通訳と保健室の先生。
そして何だかんだ終わった後、「良かったなお前!」、みたいに絡んでくる警官たち。
まえてぃーはほぼ何もしていない…。
みんなが転がしてくれた。
ここに出てきた外国人の人たちは、全員がポーランド人です。
多国籍の人が集まるゲストハウスで、たまたまかも知れないし、運命かもしれない。
日本と同じ。
「日本ってこうなんでしょ?」とか言われたら腹立つのは、その面だけじゃないのを知ってるからで、1つ1つの外国も、いろんな側面を持っている。
国が人を決めるんじゃない。
人が国を決めるのでもない。
実際この3日で、
トラブルは1度だけど、
もらった優しさはその数倍。
そして日本からも、
暖かい励ましのコメントやメッセージをくれたり、
私の分まで怒ってくれたり、
笑かしてくれたり、
次に進む原動力をたくさんもらえました。
本当にありがとうございます。
きっとこれは序章で、まだまだ何か起こる予感しかしないけれど、
けっこう今、元気です。
なぜかって!?
みなさんからの「優しさバファリン」が効いてるみたいです。
この世界にはバファリンが溢れている。
泣いていいと思えてますか??
もう泣いたのかい?
充分泣けたかい?
一通りのバタバタを済ませリビングにいたまえてぃーに、
一緒に泊まっていた人たちが聞いてきてくれた。
カード会社に連絡したり、警察や次の行程の調整でバタバタしてたまえてぃーにとって、泣くなんて、そんなこと思う時間すらなかった。
「そんな時間無かったよー」と言うまえてぃーに、
「ならこれから存分に泣くといいよ」とみんな。
え、
泣くってそんな普通のことなの??
泣くものではない思ってた。
みんなの心配にも
“大丈夫だよー”って答えたり、
“ついてないよねー”って笑ってみたり、
思えばずっとそうだった。
泣くのは恥ずかしい。
泣くのは弱い。
泣くのは同情が欲しいと思われる。
私は慰める側でいなければ。。。
だから迷子になっても、いじめられても、数学がどうしても出来なくても、どんなにどんなに大きく悩んでいたとしても、困っていたとしても、自分のことでは決して泣かなかった。
人前では。
人が死んだ時や卒業式だけは泣いていいと勝手に決めていた。
そうして生きてきて、何かあっても、明るく誤魔化すのがクセになっていたような気がする。
もう泣いたのかい??
なんて暖かい言葉だろう。
あぁそうか、
私は傷ついてたんだな。
こんな時は泣いて良いのだと、
数十年ぶりに思い出せた(*´ω`*)
みんなが翻訳機とかいろいろ使って励ましてくれる。
嬉しかった。
でも、
これは忘れない。
犯人はおじさんなんですか!?
ねぇおじさん。
おじさんじゃないでしょ??
ポーランドの宿にまえてぃーが到着した日、同じ部屋のみんながポーランド語を教えてくれた。
まえてぃー以外は全員ポーランド人だったもんね。
ビールとコーラが大好きだって言った私に、おじさんは自分の分をくれたよね。
私は日本語。
おじさんはポーランド語。
それでも楽しく過ごしてた。
次の日、まえてぃーが出かける時はおじさんはまだ寝てたね。
お昼頃に、なんか必要な気がしてクレジットカードを取りに帰った時、部屋にはおじさんだけ。
おじさんはダウンジャケットを着てて、「おう!」って挨拶してくれたね。
少し会話しながらロッカーからカードを出し、まえてぃーはまた出かけた。
そして夕方に帰った。
今日もおじさんやみんなにポーランド語を教えてもらうつもりで。
そしたら1人の友達がタブレットがないって言うんだよ。
どこかに置いてない?
いつからないの?
まえてぃーは聞いたよ。
そしてクレジットカードをロッカーにしまおうとして開けたらね、
まえてぃーのパソコンが無いんだよ。
予備のカードや現金やお守りを入れてたケースもないんだよ。
旅の思い出や予定を書いてたノートが無いんだよ。
そしてバックパックを見たらね、
ガバッと何かで切られた跡があって、中身が出されてたんだよ。
2つの財布がないんだよ。
でもね、
その中はお金なんて入ってないよ。
1つには、サラエボや日本でもらったお守りや手紙が。
そしてもう1つはね、中身は南京錠だけど、私の大切な人が作ってくれた手作りのがま口。
世界に1つしか無いんだよ。
私以外が持ってても意味なんて無いものなんだよ。
切り裂かれたバックパック。
今日チェックアウトしなかったのは、私たち2人と、おじさんだけ。
他のみんなは朝早くにチェックアウトしていった。
でもどうしておじさんのベッドの周りには何も荷物がないの?
どうしていつまでたっても帰ってこないの?
そしてどうして、
枕の下にこんなものがあるの?
もし犯人がこのおじさんだったとして、このナイフはいったい何に使うつもりだったの?
もしまえてぃーが帰ったのが、おじさんの犯行真っ只中だったら、このナイフは私に向けられたのだろうか…。
もしそうなったら…
野犬対策用に用意した折りたたみ傘と飛び道具としてけん玉で対抗するしかないΣ(-᷅_-᷄๑)
いずれにしても真相は分からない。
けど犯人!!
ここはどこかと思ってる!?
あの「星の中心は太陽で地球は太陽の周りを回っている」という地動説を唱えた天文学者コペルニクス様の生まれた場所!!
そして私はこの時まさにコペルニクスを辿る旅をしていた!!
きっと
って天から言ってるに違いない!!
おじさん達と練習したポーランドのアルファベット
みんなで作った折り鶴。
おじさんのだけ残ってた。
これが答えなんだろうか。。。
【モンテネグロ】進撃の巨人好き必見‼コトルは進撃の世界観だった!!
古都ことコトル。
そう、この町は世界遺産に登録されているほど歴史と情緒ある場所。
そして、まえてぃーは気づいてしまった。
ここ、コトルは。
漫画「進撃の巨人」になりきれる場所だったのですー!!
コトルの旧市街はなんと城壁に囲まれたそう、「シガンシナ区」であり「トルスト区」であり、「ウォールシーナ内」だったのです!!
興味の無い方すみません。
私、漫画「進撃の巨人」は作者の方がテレビ「未来シアター」に出てて、その思いにほれ込んで全巻大人買いしました。
その時、7巻くらいだったんかな。。。
USJのアトラクションにも毎回行ってはキャッキャしてました。
蝋人形だけは笑ってしまったが。
日本を出てから読めてないけど、きっとガムシャラに戦ってるんだろうなと思うと海外にいても勇気がもらえるもんですね。
そして、出会ってしまった舞台とも思える場所。
ご覧ください。
“(壁を越えて)海を見に行くよー!!”
と、思わず作中の名言を叫びたくなるほど。
それもそのはず、この町は。
街をグルッと城壁に囲まれており、
山の上には城塞が。
途中にはいくつもの教会が。
兵長巨人です!!って馬に乗って激走。
物陰に隠れて迎え撃つ。
立体起動で飛びまくり。
みんなで掃除・洗濯、共同生活をして協調性を養えそうです。
あとは「巨人」さえ現れたら完璧だったのですがもし本当に現れたら困るので海の向こうにいるという設定にしておきましょう。
全て手作りのいつかのハロウィン。
先生の本気、見せたと思う。
(愛しの教え子が撮ってくれた)
この衣装、持ってきたら良かったな…。
コトルには1日だけしかいれませんでしたが、その歴史を感じるだけでなく、まさかこんなに楽しい思いができるとは思わなかったので大満足です。
次はいよいよボスニアだー。
【モンテネグロ】やっぱりこうなる国境越え。
高校生の頃の修学旅行といえばどんな思い出やイメージをお持ちだろうか。
きっと、みんなでどこかの観光地に行って、グループ行動したり、お土産を買いに行ったりというのが主だと思うが、まえてぃーの高校の修学旅行といえば、
“スキー合宿”
なぜか長野の白馬的なところで二泊三日スキーのみをする。
これが、修学旅行。
ちなみに1年生の冬。
つまり2・3年は何の楽しみもない。
京都から長野まで長距離バスで移動するのだがその帰り。
大雪で高速が通行止め。
まさかの24時間ほどバスに缶詰めにされ、晴れて次の日、地元の新聞に載ったくらいだ。
先生に「もうバスは動かないから寝ろ」、と言われて寝て起きたら窓から見える看板が微塵も動いていなかった時はけっこう笑った。
でも友達と一緒だったからけっこう楽しかったりもした。
そして今。
同じ目にあっている。
これがけっこう覚悟した。
と、ゆうのもモンテネグロではコトルという街に行きたい。
が、コソボから出発した場合、一度モンテネグロの首都で乗り換えが必要。
コソボからのバスは夜の7:00。
モンテネグロの首都に到着は夜中の1:00。
首都からコトルへのバスの出発は朝の6:00。
つまり!!
この秋の夜長の寒い中5時間もバスターミナルで待機しなければならないのだ٩( 'ω' )و
でもまぁ夜中に移動した方が宿代も浮くし、何事も経験なのでそれで行くことにした。
そして、定刻通りコソボを出発。
真っ暗の中、山頂にある国境に向かってバスはグングン走る。
街灯なんてものもないので、窓の外を見ても見えるのは闇。
闇って見えるんだね。
すると突然スピードが落ちてきた。
ガタンゴトンと歯切れの悪いタイヤの回り方。
な、なんだ、パンクか!?
しばらく様子を見ているとヘッドライトに照らされた外が見えた。
ゆ、雪だΣ(゚д゚lll)!!
雪が積もりに積もっていてバスが動けないのである!!
きっとタイヤはノーマルだ。
あちゃーって他のお客さんも運転手さんも思ってる顔。
暗闇の中浮かび上がる雪☃️
その時速、、、5キロ笑。
もう前の車が通ったであろう轍に頼るしかない。
そこから1時間ほどで山頂の国境へ。
ガン見されるまえてぃーパスポート。
しかも入国スタンプはない。
みんなのIDが返される中、一番最後まえてぃーパスポートも返却!!
良かった。
が、
なぜか出国パスポートは押されていた。。。
いや、記念みたいで嬉しんだけどね。
そして、出発するかなーと待つ。
そして待つ。
まだ待つ。
けっこう待つ。
まだ!!?
なんか車体下の方で国境警備員とかドライバーさんとかがゴソゴソしているのが窓から見えた。
ま、まさか危険物が!?
いや、まえてぃーは何も持ってません。
悪い粉に見えるのはアクエリアスの粉です。
朝食用のシリアルです。
頭の中で祈る。
が、どうやら違うらしい。
タイヤだ。
タイヤを雪用に交換しようとしているが上手くいかないらしいのだ。
そのうちいろんな乗客の人が様子を見に行っては報告をし、様子を見に行ってはタバコを吸うということを繰り返していた。
みんな寒い中一生懸命だ。
私は何もしていない。
そして、気づいた。
エンジンが切られている。
エアコン皆無。
さ、寒すぎる。
現在すでに到着予定の1:00。
まぁ時間には余裕あるし、むしろ遅れた方がバスターミナルで待つ時間が減るのでちょっと有難い。
寒いなぁと思うものの、こればかりはまえてぃー何も出来ないので、協力できることと言えば「文句言わない」ことくらい。
待つ。
ひたすら待つ。
そして、
寝てしまっていた。
そして、
はっと目が覚めた!!
なんと4:00!!
窓の外見る。
まさかのまだ国境ーーーー笑。
そう、この3時間全く動いていなかったのである。
その間もドライバーや国境警備の人たちもタイヤの所でガチャガチャしている。
いやもう寝てばっかでなにも出来なくてすみません。
そして、ついに4:40頃。
動き出したー!!
みんな拍手。
まえてぃーも拍手。
でもちょっとヒヤッと。
ここから首都までどれだけなんだろう。。。
でもまぁ心配して始まらないので待つ。
着くのを待つ。
まだ待つ。
着いた!!
時刻は5:50!
バスターミナルに降りてお礼言ってまたバスターミナルのチケット売り場に行く。
そして聞く。
“コルト行きたい”
するとチケットカウンターのお兄さん。
叫ぶ。
“ナウ!!”
この時点で6時ちょっと前でバスは定刻通り6:00出発らしかった。
お兄さんがナウだ!と言って指を差し、それに気づいた別の人が「お前こっちだ」と言ってバスまで案内してくれてギリギリ乗れた。
またしても感謝。
そして、、、
何よりも寒いバスターミナルで5時間も待たなくて良かった!!
そして暖かいバスに揺られること2時間。
無事に古都コルトに着きました。
【コソボ】日本人はどれだけカタカナの国名をアルファベットで書けるのか。
あれに挑戦してみたいな。
(でも前これで失敗したしな)
あの人と話してみたいな。
(でもあんな噂聞いたしな)
あの場所に行ってみたいな。
(でもみんな危ないっていうしな)
いったいどれだけブレーキかけてきたんだろう。
コソボ滞在は2日しかなかった。
パン屋での優しさ事件から宿に帰ると、同室に一組の男女がいた(6人部屋のドミトリー男女一緒)。
2人はとても陽気でまえてぃーに話しかけてくれた。
どこから来たの??
私たちは英語の先生をコソボでしていて、今日はホリデーだからここまで遊びに来たの。
とのこと。
どうやらこの二人はカップルとかではなく、ボランティアで2年間英語の教師をコソボでしているとのこと。
コソボは2008年に独立し誕生したとても新しい国。
ヨーロッパでは1番新しいNEW BORNだ。
急速に英語が広がっているが、英語の先生が足りないので彼らのようなボランティアが多くいるらしい。
頭が下がる。。。
これから友達のパーティーに行くという2人。
去り際に、
「あなたの英語はとてもいいわ。」
と、慰めにもほどがある!って優しい言葉をかけてくれた。
ないないない!!
自分が一番分かってる!!!
アイムフロムジャパンしか言ってないよ!!!!
私の英語はアカンでしょ笑。
的なことを返す。
すると。
「私は英語の先生よ。それくらい分かるのよ。自信もって。」とすっごい真面目な顔で、目を見て言われる始末。
…。
う、うれしいぃぃーー!!!
正直英語のツアーとかに参加してもドミでの会話に参加しても、何言ってるか分からないからとりあえず大きく頷くしかしていないまえてぃー。
そんな私やけど、あんなに目を見て「自信もって」とか言われたら根拠のない自信が出てきた。
できる気がしてきた。
この感じ、、、
久しく無かった感情!!
私も生徒にあんなにまっすぐな目で「自信もって」とか言えてたんかな(´-`)
「失敗したらすぐ笑ったるからいってこい(挑戦してこい)」
としか言ってこなかった気がする。。。
それと同時に、
大人になるにつれ、誰かに「自信もって」とか「あなたのここがいい」って言われなくなるなって思った。
社会人になりたての頃は、1番後輩やし、みんなかまってくれて、優しくしてくれて、励ましてくれてたけど、先輩になってくと励ますことは増えても励まされることは減る。
そりゃいつも励まされてる大人とかも逆に凹むけど、たまにはいい、ってか大切やなと感じた。
それと同時に、私は大人を励ましてたかなと思う。
先輩、上司、親とか含め。
親なんだから
やって当たり前。
上司なんだから
できて当たり前。
先輩なんだから
気づいて当たり前。
年上なんだから
助けて当たり前。
庇って当たり前。。。。
とかとか思って、励ましの言葉の1つも言えてなかった気がする。
励ましたら癪にさわるかな、とかプライドを傷つけるかな、とかも思ってしまう。
逆に子どもや後輩には当たり前のように励ましたり慰めたり。
でもこの「当たり前」は自分より下に見てるから、できない存在って思ってるからしてることなんかなとかも思った。
人に区別とかしない人間とか思ってたけど、きっと無意識にいろんな線を引いてたんやろなと考えた一瞬の出来事でした。
うん、ボーダレスヒューマンの道は遠い、けど気づけた分だけ近づいたのさ(´∀`*)
そして街へ。
大通りや旧市街、マーケットを足早に散策。
オシャレなカフェやモールも立ち並び、子どもたちの笑い声も溢れるこの場所に、もはや紛争の記憶は上書きされ消えていた。
けど、少し歩くとまだ紛争の後は残る。
傷跡、として見るか、復興として見るか。
決めるものでもない。
ただ、そこには日本のまえてぃー達と同じように仕事に行き、学校に行き、友達と遊び、買い物をし、晩ご飯の支度をするという変わらない日常があったと実感したことが一番心に残った。
そして
“ハロー”と声高らかに言ってくる若者たち。
負けずと元気よくハローと返すと「わ、返ってきたね」と友達同士で笑い合う。
日本人かどうかは分かってないと思うけど、アジア人へのハードルが下がって、次に来るアジア人がまた誰かと笑いあえれば良いなと思う次第です。
そして、ミサンガを買いに。
実は各国で集めている。
ちょうど手作りでおじさんが作ってるところに遭遇。
「おじさん、これどれがおススメ?」
と、もはや、
日本語で聞く始末。
どうせ通じないのなら一番感情が入るであろう日本語が一番と思ったから。
すると「アルバニア」の文字が入ったミサンガを見せてきた。
どうやらおじさんはアルバニア系の人のようだ。
コソボにはアルバニア系の人が多数を占めるのでアルバニアの国旗も目立つのです。
ごめん、アルバニアはもう行って買ったんだ、と言ってアルバニアで買ったミサンガを見せる。
アルバニアカラーだったから伝わったようだ。
困るおじさん。
結果、
この中から好きなの選べって言われて雑にされた笑。
どれにしよかなーと思いながらパッと目についた「C」。
コソボだ!!
って思って即決。
“COSOVO”
これにするわ!
と、
取っておじさんに見せると、おじさんがなんと長さを調節できるようにヒモを蝋で溶かして作り直してくれた。
スゴイやんおじさん。
ありがとうおじさん。
と、ワントーン高い声で言いまくる。
すると横にいたおじさんも見てくる。
ゴーカートしてた子連れも見てくる。
でも、笑顔で見守ってくれている。
おじさんミサンガ完成。
“ありがとー”
いつも叩かれてばかりの肩を今度はおじさんに叩く。
おじさん笑う。
周りも笑う。
まえてぃーは幸せな気持ちになった。
ので、おじさんが何の病気で何の注射を打ってるかは聞かないことにした。
そして気づいた。
コソボは。
「K」だった。
うん、次行ってみよー。
【コソボ】紛争より疎外感の方が辛くって、紛争より優しさの方が勝つって感じた話。
アルバニアからバスで6時間。
あのコソボに入国した。
コソボと言えば中学か高校の頃に“コソボ紛争”という言葉しか思い浮かばない。
そして、それは大人になって先生を通り越した今でも同じ。
20年前と同じ「紛争」のまま、なのだ。
頭の中のイメージとは恐ろしいもので、「紛争」と思い込むとたとえ何年たってようがまえてぃーの頭の中は「紛争」のまま。
つまり、“危険”。
だからアルバニアから普通にバスが毎日出発していることに驚いたし
、10ユーロで行けることにも驚いた。
何よりアルバニアの人たちが「コソボ?あ、いいやん、行ってらっしゃい」みたいな感じでフランクに話してくれることにあっけにとられた。
そして、
勇気でた&ワクワクが増した!!
そして、入国では。。。
やっぱりスタンプもらえん!!
バスで行き来が当たり前の国はこんなもんなのかと諦める。
そしてバスは市街地へ。
そしてターミナルへ到着し降り立つ!!
「コソボなんか~??」
実感が湧かない。
フワフワしたまま荷物を持って運ぶ。
ふと気づく。
とにかく見られる。
そりゃそうか。
まえてぃーがコソボのこと知らないようにコソボの人たちも日本人なんて知らなくて当然だろう。
まだまだこの辺りを旅する人も少ないんだろうな。
通りすがりに下から上まで見てくる人もいればウインクしてくる人もいる。
話しかけてくる人もいれば怪訝な顔をする人もいる。
まえてぃーにしたらどれも新鮮だった。
けど、
感じる。
疎外感。
宿に着き、町を散策しに出かける。
お店に入ると間違いなく全員にジロりと見られる。
それはまるで一瞬だけ時が止まったよう(けっこう本気)。
あ、まえてぃーついに「時を止められるようになった」。
気分は「ザ ワールド(ジョジョより)」。
しかしこれが続くとしんどいこともある。
カフェに入った時、店員さん達が誰が注文聞きに行くか相談してたり、スーパーのレジで、前の人にはお釣りを手渡ししていたけど私には目も合わせずお釣りは投げるように下に置く。
嫌いなのか。
奇妙なのか。
怖いのか。
関わりたくないのか。
分からない。
ただ。
寂しい。
ここまでくると紛争とか全く頭にない自分にも気づく。
それどころじゃない。
その日、最後にもう一軒だけ行ってみようと勇気を出して入ったベーカリーカフェ。
お姉さんが2人、まえてぃーが入るなり「え、どうしよう」モード。
もう慣れました!(強がり)
おなじみの片言の英語で「これください」を言ってみる。
が、2人とも「なになに?」みたいな状態。
通じないか。。。
まえてぃーもどうしよう状態。
すると奥から店長っぽいおじさんがやってきた。
おじさんがお姉さん2人に「ここはいいよ」的なことを言ってまえてぃーの方へやって来た。
英語で。
「よく来たね」
まえてぃー半泣き。
「どれにする?」
「これにします」
「ここで食べるかい?」
「はい。コーヒーもお願いします」
お金を払おうとすると
「あとでいいよ。ノープロブレムさ」
と言って席に案内してくれた。
食べたカステラのケーキ。
「美味しいかい?」
「どこから来たの?」
「ニッポン、そりゃいい国だ」
他のお客さんもいるのにずっとまえてぃーのことを気にかけて話しかけてくれた。
食べ終わって、
「コソボの伝統的なパンはある?」って聞いたら「もちろんあるよ」と言って2つ紹介してくれた。
そのうちの1つをテイクアウトして買って帰った。
全部で2ユーロ(260円くらい)。
破格の値段だと思う。
そして、ただ本当に嬉しかった。
帰り道はもう泣きながら帰った。
もちろん嬉し涙。
私も日本にいた時そんな対応して誰かを傷つけてたのか。
あのおじさんのように“違う”人に暖かい人になりたいと思った。
間違いなく“NEW BORN”だ!!
おじさんにありがとうを込めて折り鶴を渡した。
「ハッハッハッ!これはいいプレゼントだ。」と笑って肩を叩いてくれた。
そして外まで見送ってくれた。
違うんです。
もらったのは
私なんです。