【ボスニア】オリンピックのビフォーアフター。今はビフォー。アフターは…⁇
これまでオリンピックは何回くらい行われてきたんだろう。
以前のブログでも書いたがまえてぃーは高校の修学旅行は長野に行った。
そこで長野オリンピックで使われていたスキージャンプ台を見た。
初めてジャンプ台というものを見た。
こんな高さから飛んでるんかー∑(゚Д゚)
「いや命綱もないのに無理や!」と思ったことを覚えている。
そう、オリンピックはオリンピックが終わってからも人々に思い出をくれたり形を変えて楽しませてくれる。
シドニーに行った時もマラソンの高橋尚子選手が金メダルを取った道を歩いた。
バンクーバーに行った時も「浅田真央ちゃんがいた所やー!」と、五輪のモニュメントを見に行った。
そして、2020年の東京オリンピックはなんとしても開会式か閉会式を見に行きたいと模索している。
そんなオリンピックがここ、サラエボでも行われました。
残念ながらまえてぃー1歳。
全く記憶にはありません。
でも、オリンピックキャラクターのグッズが今でもたくさんあったり、オリンピック博物館があったりして、記憶にはないものの、そのゆかりの地に行ってみたいと思いました。
サラエボオリンピックのキャラクター“ブチコ”
ユーゴスラビアに住んでる伝説のオオカミだ(⁎⁍̴̆Ɛ⁍̴̆⁎)✨
そして向かったオリンピック会場跡。
オリンピックのタワーがあるので分かりやすい^_^
オリンピック会場跡は市内中心部から歩いて20分ほどの場所にある。
のどかな公園を超えて、、、
するとそこは…
墓地だった。
オリンピック開催からわずか8年後起こったボスニア紛争。
街を山に囲まれたサラエボは、敵対勢力がその山に常駐。
そして、銃やロケットランチャーで365日24時間狙われた。
“スナイパー”
彼らはそう呼ぶ。
そしてその包囲は4年にも及んだ。
水を汲みに行った瞬間、
学校の帰り道、
仕事に行く途中、
犬の散歩中、
ご飯を食べている時、
寝ている時、
過ごす時間の全てが標的となる瞬間だった。
街中にはスナイパーに撃たれた遺体が溢れた。
スナイパーからの狙撃を避けるために車で作ったバリケード。
どこでいつ狙われるか分からない日常。
でも、
日中は危険なため遺体を回収することもできず、遺体の収容は夜中から明け方に行われた。
墓地にいた守衛さんに写真を撮らせてもらっていいかと質問すると、“いいよ いいよ”と言ってもらったので、手を合わせてから数枚撮らせてもらった。
オリンピック開催からわずか8年後。
いったい誰がオリンピック会場が墓地になることを想像できただろうか。
お墓の多くは紛争のあった1992~1995年で時が止まっていた。
まえてぃーと同い年の子もいた。
その子は12歳で時が止まっていた。
この子の時が止まった時、私は小学校6年生で、卒業したくないなぁとか、誕生日には新しいスーファミのソフトを買ってもらおうとかしか考えてなかったと思う。
そりゃ多少の悩みはあったと思うけど、命が止まることなんて考えてなかったと思う。
2020年の東京オリンピック。
まえてぃーは楽しみで仕方がない。
けれどその8年後。
2028年の日本がどうなってるのか。。。
今はちょっと不安の方が大きい。
平和の「祭典」と平和から一番遠い「紛争」。
この地の歴史から学べることはきっと少なくないはず。