75年前の先生たちはこんな想いをして生徒を戦場に送っていたのかを知る話
今、日本にどれだけ大切な人を戦地に送り出す経験をした人がいるだろうか。
ポーランドからウクライナのキエフにはバスで16時間の大移動。
夜の8時に出て次の日の14時くらいに着く予定。
予定通りバスは来て乗り込むと、なんとほぼ満席💦
どうやらまえてぃーの乗った場所は中継地で、そこ以前からたくさんの人が乗っていた。
しかも全員がウクライナ人。
っぽい。
いやね、ヨーロッパの街中にいるとあんまり分からないけれど、バスの中とか決められた場所にいると人種ってなんとなーく分かります。
このバスには…
プルシェンコがいっぱい!!
女性も色が白くて目が青くて鼻が高くてそりゃもう美しい。
が、
どこに座ろう(゚o゚;;
ほぼ満席で、空いててもカバンとか置いとるし!!
どけてくださいって言う勇気なんてない( ̄∇ ̄)
オロオロしてると1人の青年が、
「ここでよかったら」といって手を差し伸べてくれた。
本当どうしようと思っていたところだったので心の底から嬉しかった♪( ´▽`)
そして彼は続けて、
「でも荷物あるけど…」
と、足元にあるバカでかいダンボールに入った電化製品みたいなものを指差した。
そりゃまぁ多少は当たるし邪魔ですが全然いいです!!
「ノープロブレム」と即答しバスは出発。
お互い無言で30分くらいした頃、
彼がおもむろに飴をくれた。
「食べるかい?」
断る理由なんてないので
「ありがとう」。
彼はウクライナ人。
まえてぃーは日本人。
お互いカタコトの英語と翻訳機で会話スタート。
「この荷物大きいけどなんなの??」
「実は妹たちへのプレゼントなんだ。クリスマスもあるけど、久々に会うから…」と。
彼の名前は「セルヒー」
現在19歳でウクライナからポーランドに仕事をしに来てるらしい。
ウクライナで働くより、ポーランドで働いた方がお金も稼げるので、そうする若者は多いようだ。
セルヒーもその1人で、稼いだお金を家族のために送っているとのこと。
6ヶ月ポーランドで働き、実に6ヶ月ぶりにウクライナの家族の元へ帰るようで、そりゃもうウキウキが見てとれた(*´꒳`*)
にしても、19歳で国を出て家族のために働くとか…
日本でいう高卒だよね。
生徒のみんな、マネできる??
いや私含めやけど。
それからセルヒーはいろんな話をしてくれた。
実家はウクライナの北部で“愛のトンネル”という場所で有名な街らしい。
彼はこの愛のトンネルをよく逆立ちで歩いてるようで写真を見せてくれた。
そりゃもうめちゃ逆立ちしまくってて笑ったよね( ̄▽ ̄)
そして、10歳と8歳の妹たちの写真。
2人とも可愛かったー(´∀`*)✨
金髪で透き通るような青い目をして、3人で自撮りとかしてるんだよ。
見てるこっちがホカホカする絵面だったよ。
そしていつか素敵な彼女とこの愛のトンネルを歩くのが夢らしい♪( ´▽`)
その時はまえてぃーも一緒にって誘ってくれた。
それから一緒に彼のスマホに入ってるゲームをやったり、彼の書いた絵(めちゃ上手くてビビった💦)を見せてもらったり、オモシロ動画を見ては爆笑したり、日本語とウクライナ語を教えあったり、国境では「ここでパスポートを出すよ」とか教えてくれたり、そりゃもう親切で楽しい若者だった。
オモシロ動画でも流血してそうな動画やグロい系のはさりげなく飛ばしてくれる紳士な面もあり、寝る時には自分の上着を貸してくれるジェントルマンだ。
ウクライナの若者はみんなこんな素晴らしいのだろうか…。
結局ほぼ寝ることもなく朝になり、朝日はどっちから出てくるかを当てあっていた。
彼の街にもうすぐ着く。
彼はもうすぐ降りる。
そんな時、
「ウクライナの後はどうするの?」と聞かれたので、
「ハンガリーに行くよ」と伝えた。
すると、
「良かった。ウクライナの東には行っちゃいけないよ。」と言ってくれた。
そう、ウクライナの東部は、ロシアとの情勢が好ましくなく、軍事衝突も起こっている地域。
知識としてもちろん知っていたので、「大丈夫、行かないよ!」と笑って答えた。
すると彼は、
「3年前、兄さんはクリミアで死んだんだ」
「ロシアが兄さんを殺したんだ」
時が止まったような気がした。
知識として知っていた世界情勢が、一気に身近な気持ちとして心になだれ込んで来た。
彼は続けて、
「僕ももうすぐ20歳だ。あの場所へ行かなきゃいけない。」
言葉がなかった。
ウクライナは2010年くらいに徴兵制は廃止された。
でも、このクリミア半島の件で徴兵制が、復活。
20歳以上の若者は、みな軍に行かなければならない。
それすなわち、死ぬ可能性があるということ。
それを避けるために大学へ進学したり国外で就職したりする若者は多い。
が、彼のように家族のために働く若者は必然的に軍に行かなければならない。
…。
こんなに家族思いで、ゲームが好きで、絵が上手くて、愛のトンネルを恋人と歩くのが夢だっていう普通の若者、いや、まだ子どもじゃん。
もし彼に何かあったら妹たちはお兄さんを2人とも戦争で亡くすことになる。
どうしてこんな若者が戦地に行かなきゃならないんだろう。
分からない。
授業で戦争とかの話になる時、まえてぃーも言ったことある。
「絶対あんたら(生徒)に戦地に行けとか、国のために戦ってこいとか言えないわー、ってか言いたくないからね( ̄∇ ̄)」と本気と冗談の間で良く言っていた。
自分の生徒が戦地に行く。
それを前向きに送り出す。
戦時中は、立派に戦地に送り出すことが正しいとされた。
でも今思う。
きっと正しいとされてても、みんな絶対辛かっただろうって。
そして今この時代にも戦地に行く若者がいて、送り出す人たちがいる。
あ、吐きそう。
泣きそうをもはや通り越してくるこの感情。
保育園で先生やってる友達。
幼稚園で先生やってる友達。
小学校で先生やってる友達。
中学校で先生やってる友達。
高校で先生やってる友達。
大学で先生やってる友達。
子どもを応援する仕事をしてる友達。
目の前の子どもたちに、
生徒に、
「戦争に行って来てくださーい」って言える!?
私、ついさっき会っただけの若者に対してこんなでした。
本当。
国って何のためにあるんだろう。
日本も近隣諸国とのゴタゴタは領土問題や歴史認識などにおいて続いている。
一回日本人全員でそれらに対してどうあるべきか話し合う機会がってもいいなと思う。
まぁそれができないから、
でも、それに近づけるために選挙なり国会があったりするわけで。
ミサイルが本当に1回でも日本に当たって被害が出た時、日本としてはどんな対応するんだろう。
自衛隊の人たちに「戦ってきてください」って言うのか、若者たちに「仕方ない時代になったね」と言って戦地に送り出すようになるのか…。
実際、旅に出てから外国の人に、
「よく日本はあんなにミサイルが飛んでくるのに生活してるね」と言われたことがある。
セルヒーの街に着いた。
別れる時、セルヒーにカンボジアで買ったミサンガをあげた。
地雷で足を無くした人が作ってくれたモノだ。
『きっとこれがセルヒーを守ってくれる。
あなたはまだ死んではいけない。
家族と一緒に楽しい時間を過ごさないといけないし、可愛い恋人と愛のトンネルを歩かなきゃいけないからね。』
そう言うことしか出来なかった。
きっと彼がロシアの若者だったとしてもまえてぃーは同じことを言ってたと思う。
争い…
祈るだけじゃ無くならないのかなー、、、
きっとまた会える。
ウクライナ語で名前を書いてくれた。
街中では軍系のポスターが多く見られる
こういうことなのかな。。。