会ったこともない人に、今日も支えられて生きてます。
今日はお姉ちゃんの命日。
といっても2歳で亡くなって私の生まれる前のことだから会ったことも無ければ思い出もあるわけじゃない。
生まれた時から心臓に病気や障がいがあって家に帰れたのもほんの数日だけだったよう。
家に飾ってある赤ちゃんの写真を見るたび「これ誰〜??」って親に聞いたりしていた。
「お姉ちゃんだよ」って言われると「お姉ちゃんにも年下がいるんだぁ」とか思っていた。
亡くなってから私が生まれた。
親から、もし亡くなってなかったら私は生まれなかったかもしれないって聞いた。
10代の頃だったので何とも複雑な気持ちになった。
大学では福祉を学んだ。
そこで重度の障がいを持った子どもの施設へ見学に行く機会があった。
一生寝たきりの子。
檻のようなベッドにずっと寝かせられてる子。
誰も面会に来ない子。
言葉がなかった。
そして、自立支援施設(ヤンキーの支援施設)で研修生をしていた時、姉と同じ病気や障がいを持った人たちの施設で実習をした。
実習中は笑顔でハキハキ動いていたし関わっていたつもり。
でも、
その時、なんで障がいなんてあるんだろう。
なんでこの人たちは生まれたんだろう。
生まれることになんの意味があるんだろう。
とか、思わずにはいられなかった。
どれだけ「福祉はこうあるべき」とか「どんな命も大切に」とか学んでも、ただの理想としか思えなかった。
障がいを持った人や家族の抱える数々の苦労を見るたびにそう思ったし、生まれない方がよかったんじゃないかって思う時もあった。
そして、姉は死んで良かったのかもとさえ思った。
その時、何がきっかけきは覚えてないがある職員さんにその話をした。
姉のこと、障がいや病気のこと、こんなこと思う自分は支援者には向いてないんじゃないかと。
人に話すのは初めてだった。
こんなこと「思ってはいけない」と隠してきた。
後日、その職員さんが手紙を書いて朗読してくれた。
そこには
「あなたがそう考えることが、お姉さんの生まれた意味で、お姉さんからのメッセージなんです。だから意味はあるし、あなたがいろいろ考えたから今ここにいるのでしょう?」と。
初めて泣いた。
初めて肯定的に姉と自分のことを受け入れられたと思った。
姉のことがなかったら私は障がいや病気というものに無関心で無頓着で、より多くの人を傷つけ生きてきたかもしれない。
もちろん知らず知らずのうちに人を傷つけてはきただろう。
でも少なくとも、もらった命は精いっぱい使い切る。
あわよくば誰かの力になれるような使い方をしたい。
自分を照らしてくれる人や場所を探すより、誰かを光らす人や居場所になりたい。
と、思うようになったのはきっと姉の力だろう。
姉の残してくれた「考えること」を力に変えて自分自身を生きていきたいと思えた。
その実習が終わって、とあるヤンキーとタケノコを切っていた。
タケノコと言っても調理ではなく、施設内の山にタケノコが生えていて、立派な竹になる前に切って食らうということが目的だった( ̄∇ ̄)
ギーコギーコとタケノコを切りながら、
「いろいろ考えたわー」「難しいねー、障がいをもつ人の支援って」とか世間話的に話をしていた。
するとそのヤンキーが一言。
「そんなんね、五体満足の奴がちゃんとしたら良いんですよ」
…。
頭にカミナリ⚡️。
そう、「ちゃんと」すればよいだけだ。
「ちゃんと」
なんて素晴らしい言葉だ。
手がなかったら手を貸せば良いだけのこと。
理解することが難しかったら伝え方に工夫すれば良いだけのこと。
子どもがパニックを起こし車内で頭を下げるお母さんに「大丈夫ですよー」って言えば良いだけのこと。
ただそれだけのことだった。
まえてぃー「じゃあうちらは障がいを持ってる人にちゃんとできるか試されてるってこと?」
ギーコギーコ。
ヤンキー「あー、そうっすね。試されたら、、、負けたくないっすね。」
ギーコギーコ。
まえてぃー「え、勝負なん?」
ギーコギーコ。
ヤンキー「はい。でもみんなが優しくなるから良くないですか?」
ギーコギーコ。
ギーコギーコ。
まえてぃー「ほんまやな(*⁰▿⁰*)」
ヤンキー「ね、単純じゃないすか。」
ついつい頭でっかちになって「こういう場合はこう」とかうんぬんしてたけど、こうズバってなる方がまえてぃーには向いてるしみんなもそうだと思う。
ありがとう、共にタケノコを切ったヤンキー。
現に高校で障がいを持った子に特別なサポートとかをすると他の子からやれ「差別」だの「ひいき」だのの声が上がる。
保護者からも上がる。
丁寧に説明する場合もあるが全員の前で一言。
「わかるやん。」
シーン。。。
「えぇ、まあ。」
さすが空気読める世代。
いや、みんな本当は分かってる。
「わからん?」
「わかるやろ。」
「わかるやん。」
大概この3つで誰からも文句が上がらなかったというのは一度や二度ではない。
「ズバっと単純」の力は大きいのである。
旅ブログのはずが最近思うことばっか書いてるけど、それも「ひとり旅」に出たからだと思う。
1人になって、いろんな歴史や人や文化と出会って、でも話す人もいないし自分の中で考えることがより増えたんだと思う。
それをこんな風に発信するようになったのも、自分に対して、人に対して、前よりも「素直」になれてきたかもしれない(*´ー`*)
正直今でも自分が恋愛して結婚して出産することや親になることとか想像できない。
もし障がいを持ってたらとか、パートナーに拒まれたらとかいろいろ考えてしまうし、“恐い”って言った方が良いかもしれない。
でもどんな命にも意味があるってことは学べたつもり。
消えていった命がより意味のあるものになるよう、このまえてぃー、どこに向かってるかは分かりませんが走っていきたいと思います。
そう、先のことは分からんけれど、とにかく、今日も全力で消費してまーす!!
at オリンピア遺跡にて。
この後当時の競技場を全力疾走したよ。
195メートル。
吐きそうになったよ。
はなちゃん(姉の名前)、私は今日も元気です( ´ ▽ ` )ノ