選挙って命のバトンなんだね。若者、ちゃんと考えてます。
日本ではもうすぐ「選挙」がありますね。
ちょうど「選挙と生徒とまえてぃーエピソード」を思い出したので今日はそのことを書きたいと思います。
先日、といっても夏頃ですが、嬉しい依頼を頂きました。
まえてぃーが先生をしていた学校で卒業生が集まる同窓会があり、そこにメッセージをもらえないかという依頼でした。
こんな突然「世界の歴史に会ってきます!」と言って巣立った私に連絡をくれるなんて本当に有難いことです( ̄^ ̄)
だから動画で送りました。
カンボジアのアンコールワットの前から溢れるばかりの元気とエールを込めて。
~以下メッセージ~
みんな元気~!?
社会人生活や大学生生活頑張ってますか??
[省略]
日本は今年戦後72年ですね。
ここカンボジアでもNHKが見れて、終戦の日に戦争の特集を見ることが出来ました。
授業で戦争や社会について触れる時、「必ず伝えること」がありましたね。
きっと忘れてると思うので改めて。
“選挙へは行こう”
何(๑•ૅㅁ•๑)⁇突然、って言われるかもしれませんが、単純です。
“選挙へは行こう”
いや、まえてぃー的にはこうだな。
“選挙権を活かしてあげて”
「忙しい」「よくわからん」「どうせ変わらん」「政治家はあてにならない」とか、行かない理由を正当化することも出来るけど、みんなの持つ一票は、決して軽い道のりを歩んできたわけじゃないです。
日本の戦後72年。
去年は戦後71年で来年は73年になる、かもしれないし、ならないかもしれない。
これは実際に戦争があったということ、そして72年間平和を守ったってこと。
72年戦争をしていない国は本当に少ないんよ。
つまり、世界では戦争は当たり前。
日本で今、戦争が起こったって、驚く国はあまりないんじゃないかな。
そんな日本が参戦した第二次世界大戦。
当時、「選挙権」は25歳以上の男性しか持っていませんでした。
でもご存知の通り、特攻や徴兵で亡くなったのは誰やっけ?
沖縄のひめゆりで亡くなったのは誰やっけ?
10代の若者やろ?
みんなと同じくらいの子が選挙権もなく、国にもの言うことも出来ず始まった戦争のせいで死んでいった。
夢も叶えたかったやろし、恋もたくさんしたかったやろし、何よりも、こんなに短い人生を送るために生まれてきたんじゃないよね。
空襲や原爆でも多くの罪のない人たちが亡くなり、たとえ死ななくても辛く、悲しい時間を本当に多くの人が過ごしてきました。
悲しい時代を、この国は政治と共に歩みました。
そして戦争が終わり、大人たちが選挙権を20歳以上の男女にし、今は18歳の男女全員が選挙権を持てるようになりました。
お金とか払わなくても国に物言えるわけです。
誰に投票するとか今は分からなくてもいい。
“一票を投じる”ってことは、
“自分はここにいるよ”って存在を表す意味もあるから。
もし選挙に行かないとね、
「自分はいませんから気にしなくていいですよ」
「どんな国になっても文句言いませんよ」
ってサインになっちゃうわけ。
ただ単に困るよね。
10代や20代の投票率が上がれば、政治家は若者に興味を持ち、危機感を抱き、若者のために動くようになるよきっと。
だからどんなに自分が人生に悲観してようが途方に暮れてようが、昔の人が受け渡してくれた一票は大切にしてあげてね。
多くの国を旅していると、選挙がないのはもちろんのこと、投票に監視がついたり、誰に入れるか強制されたりということもある。
だからより、日本の選挙の自由と平和は、すごいことだと知った。
政治のこととか詳しいことはまえてぃーだって分かりません。(ダメだろ)
でも、先人たちが遺してくれたもの、託してくれたものだってことは分かります。
それだけは大事にしたいし、みんなにも大事にしてほしい。
最後に、国の歩む道に興味を持たないと、国というものは知らず知らずのうちに私たちを行きたくない方向へ導いていく時があるんだよ。
それは戦争のことかもしれないし、税金のことかもしれないし、教育のことかもしれない、、、。
国民が政治家を育てる。
色んな国をして、そういう考え方を持つことも大切だなって思いました。
~それでは、また会う日までお互いイキイキしていきましょう~
以上がメッセージでした。
ちょっと加筆した所もありますが笑。
まえてぃーは子どもの頃、選挙のたびに好きなテレビ番組が無くなるので勘弁してくれと思っていました。
そして、二十歳になり選挙権をもらったとしても、「どうせ分からんなぁ」と、とりあえず行くって感じで、正直行かない時もありました。
でも、世界を旅したり、先生になって日本の歴史を知る中で、“選挙”と“選挙権”が当たり前にある国は、決して多くはないということを知り、上記のようなことを高校生たちに伝えてきました。
するとこんなことが起こりました。
約1年前の同窓会。
卒業生たちが学校に遊びに来てくれました。
その頃、大阪で新しい高校となるキャンパスを立ち上げて2年目で、卒業生は10人程度しかいませんでした。
その卒業生たちが高校3年生の頃、毎週一緒に授業をしていたわけですが、なんてったって通信制は生徒も自由なら先生も自由。
結果、授業も“自由”にしていました。
(もちろんちゃんともしていた)
そこでは毎週水曜日の1・2時間目のまえてぃーの授業で、1年を通してずーーーーっと「グループワーク」してました。
「グループワーク」とは生徒同士が色んな関りを通して、意見を伝えたり、受け取ったり、考えたり、作り上げたりする時間だとまえてぃーは解釈しています。
一般的な授業って、先生が説明して生徒が受け取るってスタイルですよね。
でもなんかそれって、彼らが巣立ってからイキイキと自分の心と行動で生きていける力が身につくのかな…と疑問に思っていました。
(忍耐力は間違いなく身につくが)
だから、できる限り通常の授業でも1人1人に1回は質問をして、考えてもらったり表現してもらったりしていました。
が、この学年は何てったって少人数。
意見も言いやすいし融通も利く。
ので、ゲームやディベートや色んなワークを毎週90分ぶっ通しでやってたわけです。
まぁ簡単に言えば“コミュニケーション”の授業って感じですかね。
そりゃけっこう考えました。
どうしたら関わりやすいか。
考えやすいか。
ふざけやすいか。
ふざけすぎないか。
遊んでるうちに学べないか。
気づいたら夢中になれないか。
また来ようって思えるか。
どんだけ準備や勉強しても、大切なのはまえてぃーが完成させることでなく、彼らがどう自分で完成させていくかだから難しかった。
でも、今思うと本当に楽しい1年間だった。
他の先生には
“毎回遊んでるだけでいいね”とか、
“授業らしくしてください”とか言われたことある。
まえてぃーの「先生」としての評価は、決して高くなかったかもしれない。
でも、私たちの「仕事」は「先生」が「先生」らしくすることなんだろうか?
「先生」が思うような「先生」を演じていれば、生徒は幸せな未来を手に入れることができるんだろうか?
まえてぃーは違うと思った。
向き合う彼らが、彼らの人生を、彼ら自身の手で歩く力をつけるサポートをすることが先生の仕事だって思ってた。
もちろん今でも。
そして、彼らは無事に卒業。
そして、数か月後の夏に再会。
すると1人の生徒がまえてぃーに一言。
“そういえばオレ、選挙行ったよ”
するとそれを聞いた他の子も、
“あ、オレも行ったよ”
“おれも”
“わたしも”
・・・。
なんとその場にいた全員が選挙に行っていた。
それは選挙権が18歳になって初めての選挙。
若年層の投票率が低いことは知っていた。
それがどうだろう。
ここでは100%だ。
“え、マジで⁇なんで⁇”と思わず聞いてしまうまえてぃー。
すると。
“だってまえてぃーの授業受けてたもん”
“あの授業でけっこう考えたし、できることはしないとねって思った”
“若い人が選挙行くと政治家の人も若い人に興味持ってくれるって思えたし”
“政治はよく分からんけど「選挙権」は大事にしないとと思ったし”
“選挙権って命のバトンみたいだね”
…。
まえてぃーの中だけ時が止まったようだった。
大学生の子もフリーターの子も、みんなそれぞれの考えを持って一票を投じに行っていた。
こういう時に先生やってて本当に良かったなって思う。
私たちの仕事なんてものは、決してすぐに結果が出るようなものでもなければ見えるものでもない。
ましてや何が良い結果なのかも分からない。
でもこうして、自分のことだけじゃなく、社会の中の自分って意識もしっかりと持っている彼らに感動した。
決して彼らをディスカウントしていたわけじゃない。
ただ、自分の想像をどんどん超えていく彼らの姿に驚いただけ。
たかが選挙でと言うでなかれ。
みなさん、選挙、行きますか?
若者はちゃんと考えてます。
一方、
大人はちゃんと伝えられてるんだろうか。
大人こそ選挙の持つ意味を、しっかりと理解できてるんだろうか。
改めて自分に問う。
私は日本人。
日本の国の一員。
これ、事実。
そして世界一周中に突然起こった選挙。
海外にいる場合、3ヶ月はその土地に住んでないと大使館での選挙は不可能。
こんなこと書いてる自分が選挙に行けないということを知った後のうしろめたさ。。。
選挙が突然行われるなら旅人や短期で留学してる人にも優しい選挙制度が欲しいなととも思いました。
さて、どうしたものか。。。
今できることと言えば、こんなブログを書いて伝えることしかできないけど、彼らに負けず行動できる大人でいるぞ、という決意をした1日でした。
去年の夏、まえてぃー黄昏る。