【カンボジア】テレビっ子だったおかげで10年ぶりの奇跡の再会を果たせた話。
こんにちは(*゚▽゚)ノ
歴旅中のまえてぃーです。
ここにきて一抹の期待を持ち出しました。
それは、
“ソチアに会いたい”
です。
『カンボジアだった理由』にも書きましたが、ソチアは私が10年前にカンボジアに来た時にガイドをしてくれた人です。
そして、カンボジアの負の歴史や、カンボジア人にとっての日本語と日本人の意味を教えてくれた人です。
ので
ぜひ会ってお礼を言いたい!!
あわよくば私が先生になった経緯を聞いてほしい。
そして思い立った。
“探そう”
いたってシンプル。
が、
どうやって(・・?)
。。。
まえてぃー考えた。
そして思いついた作戦。
の、
協力者。
「過去の自分」登場。
まえてぃーは悩んだ時とか「あ、無理かも」ってなった時、いろんなモノを呼び出します。
「あの時の苦しみに比べたら」、「偉人の人生」、「マンガのキャラの言葉」、「ゲームのシナリオ」、「小説の一コマ」などなど、リアルとか2次元とか関係ありません。
そして今回呼び出したのは、
「過去の自分“テレビっ子ver”」
小学校の頃からまえてぃーは大のテレビっ子でした。
好きなテレビ番組はビデオで録画して何度も観ました。
出演者の会話も覚えるほどでした。
なかでもバラエティは断トツ人気✨
大人数でワイワイガヤガヤしてるのが好きだったのと、ただ笑えたのが好きだったんだと思う。
きっと先生やってる時の「授業」での“質問の仕方”とか“進め方”とか無意識にバラエティ番組から学んでたってとこあると思う( ̄^ ̄)
そして、あれ系も好きでした。
「あの人を探せ系」
お世話になった人、けんか別れした人、生き別れた人、謝りたい人、主人公の会いたい人を探し出す系の番組。
何度ドキドキしたか、涙したか分りません。
ので、
マネしてみよう(=´∀`)人(´∀`=)✨
そしてまえてぃーには心強い味方がいた。
そう、
手がかりがあったのだ。
10年前の写真だ。
なんでかまえてぃ超不機嫌そうな顔笑。
ってのは置いといて、センターにいるのがソチアです。
左がまえてぃーで右が友達のYちゃん。
そしてアンコール遺跡群にはガイドが今でもたくさんいる。
そして超分かりやすい。
日本語ガイドも英語ガイドも中国語ガイドも許可を得ているガイドさんはみんなこの服を着ている。
そして10年後も変わっていなかった。
きっと知ってる人がいるはずだ٩( 'ω' )و
気持ちは探偵。
聞き込み開始👍
“この人知りませんか??”
探すこと数10分。
“見つからない”
なぜだ??
今もガイドしてたら10年以上の大ベテラン。
けっこ知名度もあると思うのだが。。。
ラチがあかないので諦めて宿に帰る。
そして寝る。
気づけば次の日早朝7時。
考える( ̄^ ̄)
やっぱり諦めるわけにないかない💦
そしてこんなにすぐ見つかってるテレビ番組も無かったヽ(´▽`)/
それが“支え”になってくれた。
頭の中でナレーションをする。
「まえてぃーがシェムリアップに滞在できるのはあと3日。時間が、ない。」
気分はドキュメンタリー。
こんな時は、
作戦変更。
『ネット作戦。』
10年前はネットやSNSとか無かったけど今はこれで何とかなることも多い!
名前を検索してみようとするが。。。
ソチアのスペルが分からんΣ(-᷅_-᷄๑)
間違いなくカタカナではない。
根気よくネットのサーフィン。
。。。
ん??
カンボジア『日本語ガイド協会』的なものを発見!!
これだーと思いクリック。
さすが日本語協会的なやつ。
日本語あるやん!!
が、ガイドリスト的なものがあるものの、やはりスペルが分からない。
そしてとあるものを発見。
“お問い合わせメール”
打ってみた✉️。
「ソチアってガイド知りませんか?」
ほぼダメ元。
更新も長いこと無いみたいやから期待半分、投げやり半分。
そして、
特に何もすることなく1時間。
なんと!!
返事が来た!
「こんにちは!ソチアというガイド知ってます。小柄な人ですか?ソティラさんという人もいますが彼は背が高いです。どちらですかね?」とのこと。
マジでー(((o(*゚▽゚*)o)))と『心が叫びたがってた‼️』
が、冷静に。
「小柄な人です。写真あります!これです」と写真を添付してすぐ返信。
するとすぐ返事が来た。
「知ってます。」
おぉぉぉぉぉぉ!!
がその続き。
「が、彼は今ガイドを辞めてます。違う仕事してます。」とのこと。
まじかぁぁぁぁぁぁぁぁぁ(−_−;)
い、いないのか。。。
いや、いるけどいないのか。
湧きだつ心、しおれるがごとし。
「教えてくれてありがとう。残念だけど仕方ないです。」と返信し余韻に浸る。
が、またすぐ返信。
「今でも私は知り合い。連絡とってみましょうか?」とのこと。
めっちゃ良き人ぉぉぉぉ(((o(*゚▽゚*)o)))
「お願いします!!!」と即答。
こんなにこの言葉に思いを込めたのは久々だ。
。。。
ちょっと待つ。
さすが真面目なカンボジア人。
返事キターーーー!!!
「彼は今日の7時半頃からなら空いてるって。ゲストハウス行くからそこで待っててね。」
え、
う、ウソやろーーーーー。
ソチアいたん?
んでソチア来るの?
んでんでソチアに会えるん??
んでんでんで今日なん??
いろんな思いが渋滞。
そして結果。
ソワソワして終日ゲストハウスのリビングで過ごす。
しかも黙って。
何も食べる気にならず、
スマホも触る気にならず、
どこにも行く気にもならず、
ただ時が過ぎるのを待つと同時に、
何を話そう、
何を伝えよう、
何を聞こう、、、
そればかりを考えていた。
ゲストハウスのドアが開くたびソワソワする。
その度にガン見するから驚く宿泊者たち。
が、
今日は許してくれ。
そして7時半。
が過ぎ、
7時40分頃。
ドアが開いた!
入って来た小柄な男性。
ソチアだーーーーーー!!
そして一言。
「ヒロコさんですか??」
「そうですーーーーー!!」
うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!という歓喜(((o(*゚▽゚*)o)))‼️
何事かと驚く宿泊者たち。
「お元気でしたか!?」
「覚えてますか!?」
「わざわざありがとう!!」
なんかいろいろ言った気がするけど忘れた。
くらいテンション上がってた。
ソチアも
「久々ですね~」
「10年ぶりですか」
「探してくれて嬉しいですよ」って言ってくれた。
沸き立つ心、噴火するが如し。
ゲストハウスでワイワイ再会を喜んだ後、一緒にご飯を食べに行きました。
変わらない笑顔のソチア。
まえてぃー達をガイドしてくれた後、ソチアはガイドを辞めて裁縫工場のマネージャーとして働いていたそうです。
衣類などをイオンなどの日系の会社に出荷する会社で、日本とカンボジアの現場を繋ぐ役割をしていたそうです。
そこで色んなことを学んだと話してくれました。
日本人とカンボジア人の仕事に対する価値観や考え方や行動は違って当たり前なので、お互いの理解を得ることに2年くらいかかったって。
『カンボジアは月曜から土曜が仕事です。が、検品でひっかかった製品を出荷する場合、日曜日も働かなければならない。だからみんなに何回も伝えた。
「みんな(カンボジア人のスタッフ)の仕事のペースは分かります。日曜日は家族や自分との時間。でも、日本は時間に厳しいです。これが間に合わなければ契約が打ち切られてお給料が無くなって家族も困ります。どうしますか?頑張りましょう。」と。』
何度言ったか分からないくらい伝えたそうです。
とても厳しい人とも言われたし、理解が得られないうちは辛かったとのこと。
。。。
そりゃそうですよね。
まえてぃーも、
「海外の人って時間にルーズやなぁ」
「仕事テキトーやなぁ」
って思ったことあります( ̄∇ ̄)
でもこれは「日本人の価値観」
“絶対正しい”
“絶対合ってる”とかじゃない。
ただの“違い”
現に私たちも、違いがある残業がない外国の会社や、家族との時間やプライベートの時間をしっかりとれる外国の働き方を羨ましがったりする。
“違い”は“間違い”じゃない。
カンボジア人の人たちに日本の価値観を押し付けるのは気が引けた。
でも、日本の経済はそうすることで回っている。
頑張って日本の価値観に合わせて製品を出荷してくれてるカンボジアの人たちに感謝したいと思った。
そしてそれは「優位」だからしてることなんかなとも思った。
“made in Cambodia”
ぜひ見かけたら心の中で「あ、あれか」と思い出したい。
“made in china”でも“made in vietnam ”でも。
その他にもソチアは色んなことを教えてくれた。
物乞いの人やストリートチルドレンについての考え。
カンボジアの発展と環境汚染。
仏教の教えに近隣国との関係。
自分の夢。。。
どれも深くまえてぃーの心に溶けてった。
そして遺跡!!
10年前と今では入れる場所が限られたりしてることは前のブログで紹介しましたが、ソチアが一言。
『ね、あの時行っといて良かったでしょう??』
ごもっともです(⁎⁍̴̆Ɛ⁍̴̆⁎)✨
昨日まえてぃーが撮った遺跡の写真をニコニコしながら見るソチア。
『ソチアは遺跡が好き⁇』
『もちろん大好きで、今でもガイドの仕事はまたやりたいなって思いますよ。』とのこと。
そして、もっとたくさんの日本人に遺跡観光に来てほしいとのこと。
理由を聞くと、
『日本人の人たちは礼儀もマナーも素晴らしいので、遺跡を壊したりしないし、遺跡にとって優しい人たちなんです。だからたくさん来て遺跡を見てほしい。』
…。
みなさん行きましょうヽ(´▽`)/
褒められてるんです。
待ってくれてるんです。
こりゃ行かないとね(笑)
また、『日本語は“ゴールドの橋”です』と。
日本語のおかげでガイドの仕事が出来た。
日本語のおかげで今の仕事も出来て、より日本とカンボジアの架け橋ができた。
そして今、「無農薬の野菜作り」に挑戦する事業をしてるんです。とのこと。
な、なんですと??
なんと今はマネージャーも辞めて、日本がサポートする「カンボジアで無農薬の野菜を作る事業」をしているそうだ💦
カンボジアで無農薬って先駆的にもほどがある( ̄O ̄;)
『日本の種を持ってきても、カンボジアの暑く雨季のある気候では耐えられずすぐに枯れてしまう...。難しいけど、これからです。』
どこまでも挑戦的で日本と繋がり続けてくれるソチアにはもう尊敬しかない。
いつもおしゃべりまえてぃーだが、聞き続けた。
いや、惹かれ続けたといった方が良い。
そして最後に、まえてぃーの旅のお供。“教科書”にメッセージをくれた。
“健康でいること”
“努力すること”
“礼儀を大切にすること”
“幸せになること”
もちろんアンコールワットの横に。
ソチア、本当にありがとう。
その後、ソチアを紹介してくれたロコさんにもお礼を言うことが出来ました。
そして、まえてぃー。
“また一つ、カンボジアに感謝が増えました”
みなさんも長いこと会ってないけど、心のどこかに引っかかってる人、いませんかT^T
忙しいからとか、もう忘れてるとか、あるかもしれないけど、連絡とってみたり、会いに行ったりしてみるのも良いかもしれません。
もちろん思い通りの結果が来るとは限らないし、逆にダメージを受けるかもしれない。
でも、たとえ思い通りの結果じゃなかったとしても、その後の人生はちょっと気が軽くなるかもしれません。
“素朴”で“知恵”のある“亜細亜”の人。
それ“ソチア”です。
マタアイマショウ!!