まえてぃーブログ

先生が学校離れて世界から授業!?超前向きニートになった先生が世界のことや思ったことを自由気まままにつづります。

【カンボジア】カンボジアだった理由。

中国やフィリピン。

これまで一時帰国を通し世界を旅していましたが、ここカンボジアからしばらく日本には帰らず、長く旅をしたいと思っています。

つまり、ここカンボジアが出発点です。

ってことにしてください!

 

11年前、私は初めてカンボジアへやって来ました。

その時まえてぃー大学4年生。

卒業旅行でした。

周りの多くがハワイやグアム、オーストラリアなどの“青い海”“青い空”を求めて飛び立ちましたが、私が選んだのは・・・

 

“ロマン٩( ᐛ )و‼︎”

でした。

 

“ロマン”といえば“冒険”、“冒険”といえば“インディージョーンズ”、“インディージョーンズ”といえば“遺跡”、“遺跡”といえば“アンコールワット!!”だったのです笑

 

当時、まえてぃー世代にはそこまで有名ではなかったアンコール遺跡群をテレビで見たか雑誌で見たかで覚えており、「カンボジア行きたい!」と思い友人Yちゃんに話したところ、なんとなんと「うちも行ってみたい~」と快諾してくれ2人で旅立ちました。

 

すると、、、

 

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11年前のアンコールワット(2006年)

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 わぁーーーお\(//∇//)\✨

 

出身が京都なので、歴史的建造物には幼い頃からたくさん触れてきました。

 

なんなら実家の周りは『寺』だらけ。

有名どころの「清水寺」も「金閣寺」も「平等院」も「東寺」も「伏見稲荷」も「嵐山」も全部自転車で行ったことあります( ̄^ ̄)

 

それでも!!

 

アンコールの遺跡群は本当に圧倒されました。

「すごいなー、すごいなー」

ラピュタみたーい」

インディージョーンズの世界だー」

 

遺跡の中はまさに“迷路”。

岩と岩を突き破るほどの力強い植物。

崩れ落ちそうな階段や岩場を両手を使って登る経験。

そのどれもがこれまでには無いほどのまえてぃーの「好奇心(ドキドキ)」と「探究心(ワクワク)」を掻き立ててくれました。

 

「あーこれで社会人生活も頑張れそうだー」と感無量のまえてぃー。

 

が、

 

やたら現地の人から声をかけられる。

 

「ニホンゴ、オシエテクダサイ」

「ニホンミタイニ、ナリタイ」

「ドウヤッテ、ハッテンシタ?」

 

道を歩いていても、遺跡観光中も、日本人と思うとやたらと声をかけてくる。

しかも“商売とは関係ない”ことを聞いてくる!!

それはまるで“親日家”とはちょっと違うような。。。

 

すると当時まえてぃー達をガイドしてくれたソチアさん(現地人・日本語ガイド)が話してくれた。

 

カンボジアを訪れたのは2006年。
それからさかのぼること30年。
1976年から1979年の3年間、カンボジアでは言葉では言い表せないほど大きな国家による大量虐殺の歴史がありました。
知識人は必要なく、農民こそが真の国民だという名目で公務員・医師・教師・法律家、そして外国へ行ったことがある人や眼鏡をかけている人、そして何の罪もない人々がいわれもない罪をかけられ、多くの大人が、そして子どもたちも犠牲になりました。
詳細はまた後日書きますね。

 

それにより人口は激減。

その国家による弾圧が終了した時の全人口の85%は14歳以下の子どもでした。

つまり、まだ子どもであるはずの若者たちが、国づくりをしなければならなかったのです。

 

ソチアは言います。

「日本は戦争に負けました。

原子爆弾も2回も落ちました。

焼け野原だったでしょう?

でもそれから20年後には、世界で類を見ない豊かな国になりました。

だから、カンボジアの人たちは日本から学びたいんです。

そして、日本語が出来ると仕事が手に入ります。

日本からたくさん観光客が来てくれるから、ガイドの仕事ができるんです。

そしてそれは“生活の安定”を意味します。」

 

まえてぃーの知らないカンボジアがそこにあった。

予想もしなかったカンボジアの歩んできた道があった。

ただの「ロマン溢れる魅惑の地」なんかじゃなかった。

とてつもない大きな負の歴史を背負い、カンボジアは生きてきていた。


彼らからの質問に、当時の私は何も答えられなかった。

どうやって戦後復興を成し遂げた?なんて分からなかった。
「おじいちゃんとおばあちゃんが頑張った」くらいしか答えられなかった。
とても恥ずかしかったし、「大学までいってダセーな自分」って思いました。


それと同時に「知りたい」って思いました。

カンボジアのことも、日本のことも。

ただ、おじいちゃんやおばあちゃんが頑張って作ってくれた土台の上に、何も知らず、乗っかって生きるのはイヤだって思いました。

 

そして社会の先生になれたのは、偶然だったかもしれないけど、カンボジアのおかげで、いろんなことに深く興味を持てたし、伝えることもできてきたんだって思います。

本当にカンボジア、ありがとう。

 

だから今、世界一周はこの国から始めたい。

10年たってちょっと成長⁉︎したまえてぃーをみせたい!!

先生としての“道”と“縁”を作ってくれたこの『カンボジア』から、もう一度歩みたいと思ったから、やってきたんだと思います。

はてさて、10年経ったカンボジアはどんなかな〜╰(*´︶`*)╯

とにかく、コーヒーは美味しいよ☕️