【ボホール島】ボホールの歴史。
「ボホール島でまえてぃー遊んでばっかと思います」
うん、某生徒より強烈なジョブをくらった。
いや、ちゃんと学んでますよ。
ので、ちょっと歴史の話。
2013年、ボホール島でM7.2の地震があったことはまだ記憶に新しい。
200人近い死者を出したこの地震。
その爪痕は現在も残る。
崩れた家に住んでる人、途中までしかない橋、瓦礫が散乱した広場。。。
島の人に聞いてみた。
あれから4年がたとうとしている。
どうして道路は、橋は、教会は、家は、まだ“修復中”なのか?
地盤が揺らいで危険なのか。
答えは意外なものだった。
「国はそれどころじゃない」
フィリピンは国内で色んな問題を抱えているので“復興”に集中的に力を入れることはできないんだそう。
そんなことってある!?
日本も災害の多い国です。
阪神大震災の時まえてぃーは小学校5年生だった。
下から突き上げるような地響きと揺れ。
上からいろんなもの落ちてくる景色。
父が「机に入れー」って叫ぶ声。
そして、動けなかったまえてぃー。
知識としては知っていた。
大陸がずれたりして地面が揺れることを「地震」っていうことくらい。
でもあの威力は知らなかった。
知りたくもなかった。
でも、起こるものだった。
テレビは全て地震関連。
テレビの番組では義援金の話。
小学校でも募金や寄付があったり、ボランティアの人たちの活躍をテレビで見て、日本が一致団結しなきゃって小学生なりに思ったことを覚えている。
そして、食料を供給したり道路を修復する復興への流れ。
まだまだ「完璧」とは言えないが、少なくとも道路の修復や、仮設住宅などの住む場所は早く確保できてる気がする。
が、フィリピンは違う。
人命の救助活動はやはり最重要。
そして、治療や食料供給、公衆衛生の確保へと続くが。。。
それからは“政府の援助”ではなく、“個人の力”によるところが多いそう。
国は他にしなければならないことが多いので、“復興”は最重要課題ではないとのこと。
確かにフィリピンでは麻薬や犯罪などで治安維持が難しかったり、外交でも難しい局面を抱えている。
復興の途中とみるか、復興を忘れたとみるか。。。
どちらにせよ、ここで“生きる”人たちがいるということを忘れてはいけないと思うし、災害が起こった時にだけ意識を向けるのでなく、その後のあり方も考えないといけないと考えさせられた時間でした。
穏やかな日々が続きますように…。