まえてぃーブログ

先生が学校離れて世界から授業!?超前向きニートになった先生が世界のことや思ったことを自由気まままにつづります。

【原点】まえてぃー児童自立支援施設に帰る

どうも、まえてぃーです。

いよいよもうすぐ世界周遊第2弾の始まりということで、「会っておきたい人に会っておこうプラン(遠方ver)」を発動させました。

実はまえてぃー、通信制高校サポート校が初めての職場ではありません。

社会人のスタートは、「児童自立支援施設」とゆうところで始めました。

児童自立支援施設とは何かとゆうと、犯罪などの不良行為をしたり、するおそれがある児童や、家庭環境等から生活指導を要する児童を入所または通所させ、必要な指導を行って自立を支援する児童福祉施設です。ウィキペディアより。

 

私がこの施設の存在を知ったのは大学生の頃、児童相談所での実習中のことでした。

そこでは、職員の方の家庭訪問や相談者の面接に同席したり、児童養護施設への訪問や非行児童のグループワークなどに参加させてもらいました。

1ヶ月ほどの実習の最終日、児童相談所の偉い人がまえてぃーに話しかけました。

「君、児童相談所で働きたいの?」と。

当時のまえてぃーは大の大人嫌い。

出来れば大人と関わりたくないので、子ども関係で働きたいという何ともやましい心を持っていました。

ので、働くなら児童相談所児童養護施設と思ってたので、「はい!」と即答しました。

するとその偉い人。

「んー、君ここは向いてないよ。」

ん???

えっ(*⁰▿⁰*)???

どして!?

なぜに!?

けっこう頑張ってんけど!!っと頭かち割られるほどの衝撃の言葉。。。

ボーッと放心状態でいると、またその偉い人。

児童相談所は、親御さんからの相談が主になるんだよ。あなたは現場に向いている。だからここに行ってはどうか?」と1枚のチラシのようなものを渡された。

それが、まえてぃーと児童自立支援施設との出会いです。

後から聞いたらその偉い人、まえてぃーが非行児童のグループワークに参加してたのをみて、“コイツは現場や”と思ったらしい。それもトランプも鬼ごっこも全力でして、子ども相手に容赦なく勝って喜んでるまえてぃーを見て、ですよ( ̄▽ ̄;)

あの時は“お前大人気ないぞー”とか言われたけど、勝負に大人も子どもも関係あるかと思い、何よりもまえてぃーは負けるのがイヤ!!なので、全力で戦ってました。

 

そのチラシに児童自立支援施設のことが書いてあったのが最初の出会いです。

その時の印象…「つまり、悪いことしたヤンキーがいっぱいいるってことか(*⁰▿⁰*)‼︎」としか思いませんでした💦

 

今では「この子、悪いこともしたけど、普通の環境さえあれば、こんな罪は犯さなかったから、もう一度家庭的な雰囲気の中で身体も心も育て直していこうって場所」だと思ってます。

 実際、多くの子どもが虐待を受けていたり、親がいなかったり悲惨な環境に身を置いていた子どもが多かったと記憶してます。

そりゃ食べるものが無かったら盗ってしまう、殴られるコミュニケーションしか与えられてなかったら殴るコミュニケーションしかできなくなったり。。。

その子たちの為に見ず知らずの大人ができることってなんだろか…って考えながら働いていたのを覚えています。

 

そこで一緒に仕事をしたり切磋琢磨した仲間に会いたい!と思いやって来たのが

“東川口”と“かますさか”、です。

どこか分かります??

はい、埼玉と栃木ですよー。

 

10年前、子ども達と関わる上で、私の原点となった場所です。

まずは東川口。

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変わりすぎでしょーってくらい住宅が建ってて焦りました^^;

でもみんなで通いつめた「笑笑」は健在でした✨

 ここでは、児童自立支援施設で働くための養成所に入所し、1年間住み込みで子ども達と過ごし、職員の人達から土台となる色んなことを学ばせてもらいました。

同期が20人弱いるんだよ。

世代関係なくさ。

朝から晩まで全寮制で過ごすんだよ。

そりゃ切磋琢磨以上にすったもんだあるよね。

それが何より良い思い出だったりするのだけども( ̄^ ̄)。

この埼玉で学んだ1番大切にしたいなって思ったことは「率先垂範(そっせんすいはん)」。
何事も子どもと一緒にやる。
子どもだけに嫌なことはさせない。
子どもと一緒に進み、考え、向き合い、笑い合うということです。

実際、掃除も勉強も農作業もスポーツも、自分でいうのもなんやけど全力でやりました。

朝早いのも苦手やし、勉強も嫌いやし、マラソンなんて本当に苦手!!

やけど、一緒にやった。

竹やぶで農作業をしてる時、1人の男の子がポツリと呟いたことを今でも覚えてる。

「自分、地元に帰ったら普通の友達できますかね?」

地元じゃ評判の悪だったらしい。

身体に墨も入ってる。

どんな過去、どんな見た目だろうが誰だって“不安”を抱えて生きてるってことを知った。

 

かますさか(栃木)では、初めて職員として子ども達と過ごしました。

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私が心から働きたいと思って惚れた場所。

入所している子どものことで本気で語り合う大人達。

毎日を懸命に自分と、人と、過去、今、未来と向き合う子ども達。

そして、右も左も分からない、まぁ簡単にいうと新米まえてぃーは何かしらの役に立つような人材ではなかった。

稟議書だけは回しまくった笑。

のに、暖かく面倒みてくれた職員の寛容さ。

感謝しかない場所だ。

この頃にはまえてぃーの大人嫌いは嘘のように払拭されていた(*⁰▿⁰*)。

 

そして、そのかますさかで学んだ1番大切にしたいなって思ったことは「泥棒を見たら人と思え」だ。

 子ども達がどんな背景を持っていたとしても、「人」であることを忘れない。
不登校とか非行とか障がいとか引きこもりとか、いろんな名前が付いてくるこの現代、でもその前に同じ1人の人間であるということを大切にして向き合いたいと思った。

 もちろん、何かしらの罪を犯した子ども達だ。

被害者だっている。

だからまえてぃー自身は、この仕事は被害者からしたら悪魔かもしれないと思ったことがある。

暖かく更生をサポートするから。

でも、子どもが大人を信頼すること、安心するという関係性が土台としてあるからこそ、「反省」や「後悔」の気持ちは生まれると思った。

もしそれがなければ、「反発」や「嘘」で終わってしまうからだ。

 

この埼玉と栃木で過ごした2年間が、サポート校でのまえてぃーを支えてくれました。 

懐かしい場所、懐かしい人との再会で、懐かしい自分にも出会えました。

ここでもらった力は、もうここには返せません。
だからこそ、これから出会う人たちの力になれる自分になりたと改めて思いました。

今の世界を伝えること、世界の過去と今の繋がりを伝えることで、自分自身の人生の何かの力にしてもらえたらと思います。

リアルを生きてこーd( ̄  ̄)