“退職”というスタートを切りました!!
3月31日。年度最後のこの日、9年間いたサポート校を去りました。
たくさんの出会いや経験の中で、胃潰瘍2回、メニエール病1回、でもインフルエンザは無しという元気な毎日を過ごしていました。
最後のあいさつで「一言どうぞ」って言われたので今日はそのことを書きます。
私たちのサポート校では「名前を呼んで挨拶をしよう」ということを大切にしています。それが大切だよと先輩に言われたので、私も当たり前のように「〇〇おはよう!」って声をかけていました。
先生になって2年目の冬。
毎日遅刻してくる生徒のA君がいました。
サポート校は出席日数は原則ないので昼くらいに来る生徒もいます。
A君は体格も大きくどっしりした感じの子で、毎日昼前にふらっと来て、ちょこっと勉強して帰っていました。
「もっと早く来ぃやー」
そりゃもう何度も言ったものです。
そんな1日が過ぎた夕方、A君から電話が来ました。
「もしもし、親父が死んだ」と。
何の前触れもない突然の出来事でした。
まえてぃーは通夜に参列をさせてもらいました。
その時、A君のお母さんが声をかけてくれました。
「うちのお父さん、毎日Aを起こしていたんです。毎日遅刻させてしまったけど、学校へは行くようにって、声をかけていたんです。」と涙ながらに伝えてくれました。
まえてぃーはその時、、、
「ただ遅刻してたんじゃなかったんだ」
「一生懸命学校へ行かせてくれた人がいるんだ」
「私は毎日どんな顔で迎えていたんだろう。」
「怒ってばっかじゃなかったか?」
「注意してばっかじゃなかったか?」
いろんな思いが後悔と共に出てきました。
名前を呼ぶってことは、流れ作業みたいなことじゃなく、一生懸命に送り出してくれた人から「受け取りましたよ!」ってサインでもあり、気が乗らない中でも登校した生徒への「よく来たな!」っていうサインでもあり、意欲を持って登校した生徒への「待ってました!」のサインでもあり感謝なんだと感じました。
そして、「あなたの居場所はココにある!」ってサインだとも。
なかなか起きられない子どもを持つ親は、起きられるような声かけをし、服を着せ、飯を食わせ、送り出す。
自分のほうが先に仕事に行かないといけない親は、「ちゃんと行くかな」、「行けますように」と、祈りを込め、後ろ髪をひかれる思いで仕事に行くこともある。
そんな親たちが送り出してくれた子どもである生徒を、どんな顔で迎えるか。
自分の中で答えが出たような気がした。
そう、遅刻しようが、不機嫌だろうが、泣いてようが、無視されようが、私は大きな声で名前を呼んで挨拶をしようと。
全てがそうできたわけじゃないかもしれない。
大きすぎて「うるさい」って言われたこともある(笑)
でも、今やっぱ思う。
名前には他人の「祈り」しか込められてない素敵なモノで、その人の存在を認める大切なものだから、どんどん呼んでアピールする。一緒に生きようってね!!