まえてぃーウォーズEP3 チュニジア市民はフォースと共にいた!!
感動のネフタの夕日から朝方、ついに最終目的地の首都、チュニスに着きました。
アフリカ大陸でありながらアフリカっぽさがほぼない特殊な街。
フランスからもイタリアからも安く行け、イタリアからは船でも行けます。
そして、2日とも夜行バスで移動したので本日はリッチに首都ど真ん中のホテルに滞在することにしました!
久々に横になって寝れるー(*⁰▿⁰*)✨
バスターミナルからホテルは歩いて20分。
楽勝。
朝5時に着いて、明るくなった8時に移動開始。
チラホラ人もいるしカフェも空いていたけど、まずはゆっくりしたかったのでホテルでもうチェックインできるか聞くことにしました。
スマホの地図を出し入れしながら方向を確認。
すると同じくアフリカを回っている友人からメールが(о´∀`о)
「これからどんなルート?」みたいな会話をし、まえてぃーがナミビアに興味でてきていたので「ナミビア(に行きたいなぁ)」と文字を打った瞬間!!
ナミビアが消えたのであるʕʘ‿ʘʔ
いや、スマホの文字が消えたのではなく、
スマホが消えたのだ(゚o゚;;!?
やられた!!!
猛ダッシュで走り去る青いフードの男!!
そう、まえてぃーはスマホを盗られたのである。
ヤバ!!と思い猛ダッシュで追いかける。
そして叫ぶ!!
ドロボー
とか
返してー
とか
よく覚えてないがとにかく走って叫んだ。
もちろん日本語で。
途中何人かが気づいて協力してくれて捕まえようとしてくれた。
が、相手は若者の男性(らしい)。
追いつけるわけもなく、まえてぃー曲がり角という道路の交差点で顔面から転倒。
…。
両手両膝が地面から離れない。
もうどうしよう。。。
ひざまづいたまま顔を上げられない。
立てない。
手はドロドロ、
ジーンズもドロドロ、
あ、終わった。。。
と思ったその時!
チュニジア市民の方々が「大丈夫か!?」と、まえてぃーの側に寄ってきてくれて、持ってきたイスに座らせてくれて、手や顔を洗ってくれて、水を飲ませてくれてこのシーンはあれだよ、24時間テレビのマラソンランナーが走り終えたあとみたいな感じになった💦
そして
ガヤガヤしている街の向こうから数十人のチュニジア市民の方々がやってきた。
そして、、、
「これだろ!?取り返したぞ、お前のスマホ!!」
とまえてぃーのスマホを差し出してくれたのだ!!
…。
もう神さまー。゚(゚´Д`゚)゚。!!
そして数人の市民とポリスに連行されてくる犯人。
「こいつか!?」
うん、青いフードだ。
間違いない。
犯人は若者でどんな捕まりかたをしたかは分からないが顔面血だらけだった。
放心しているまえてぃーにおばあちゃん達は安心してね、とかごめんなさいね、とか言ってくれていた。
チュニジアに来てから本当にいい出会いの連続だった。
そりゃそうだ。
こんなにも異国の外国人に優しくしてくれる場所だ。人だ。心だ。
「泥棒にあったのに?」とか言われるかもしれないけど、犯罪には方程式がある。
お金が欲しい人とお金がある人。
歴史同士の対立。
宗教同士の対立。
ある意味起こるべくして起こった(起こしてしまった)犯罪。
全て、道端でスマホ出したまえてぃーが悪いんです。
犯罪を犯すのは結局はその人の心次第とは思うけれど、その機会を与えてしまったのは私。
反省です。
ざっと数えて2、30人の人が犯人を追いかけて街を激走してくれた光景は一生忘れないだろう。
香港映画みたいだったな。。。
本当にありがとうございました。
切れたスマホロープ📱
みなさんも注意!
自分を守るためはもちろん、外国の人に犯罪をさせちゃいけないよね(-_-;)
まえてぃーウォーズEP2 砂漠の中からラース家を探せ!!
まえてぃーは迷っていた。
当初の予定ではマトマタから乗り合いバスを乗り継いで2時間ほどの南の街、メドニンに行く予定だった。
そして、北部に帰る予定だった。
しかし、ここでとんでもない魅力的な情報を知ってしまった。
ここから真逆のはるか西。
アルジェリア国境の近くにこんな夕日を見れる場所があるとのこと。
じゃじゃん。
ラース家だ!!!
ルークスカイウォーカーが育ちいろんな想いを夕日に馳せるこのシーン!!
もちろん太陽が2個あるのは映画の中だけだけどもこのシーンと同じ景色が見れるなんて最高ではないか。
究極の選択。
メドニンは諦めてラース家があるというネフタに向かうか否かだ。
メドニンなら距離的にも確実に行ける。
ネフタは正直調べてもなかったのでどうなるかわからない。
まえてぃーの出した答えは。。。
「そうだ、ネフタにいこう(*⁰▿⁰*)」
きっとこう思えたのはまえてぃーが京都出身で「そうだ、京都に行こう」のCMを見まくっていたからだろう。
夕日をとったのである。
ただいまの時刻午前11時。
ネフタまでの所要時間4時間。
本日の日の入り17時36分。
間に合うーー(*⁰▿⁰*)!!
うん、これまでなんとかなってきた!
きっと今回も何とかなるはず!!
との勢いで行き先はネフタに決定!!
乗り合いバスをまた引き継ぎ砂漠地帯を西に向かって激走。
乗り継ぐことバス3台。
現在15時!!
ついに!!
ネフター(о´∀`о)!!
お気づきと思いますが順調すぎると思いませんか??
まえてぃーが賢いからでしょうか。
いや、カタコト英語のまえてぃーですが、ここチュニジアの公用語はアラビア語とフランス語。
む、無力Σ(-᷅_-᷄๑)
なのになぜスムーズかというと、、、
人が良すぎるーー(*⁰▿⁰*)✨
ほぼ行き先の単語しか行ってないのに、あれよあれよと全ての人がまえてぃーを目的地まで運んでくれる。
「バスステーション。」
「こっちだ!ついてこい!」
「ネフタ」
「トゥーズで乗り換えだ、このバスだ!」
「チケット」
「(連れられて)ここで買うんだ!」
「マネー(いくら?)??」
「〇〇円だ!通貨はこうやって数えるんだ!!」
「ネフタ」
「誰か(乗客に)ネフタ行く奴はいないか?連れてってやってくれ!」
「オレ行くよ、こっちだ」
そして、
到着╰(*´︶`*)╯
有難いこと限りなし。
しかも笑顔で。
スムーズに行きすぎたなぁとぼんやり。
が、
ラース家はどこに!?
ネフタの街をうろうろしてると商店のおじいちゃんと目があったので写真を見せて聞いてみた。
すると、
「ここはタクシーじゃないと行けないよ、でも15分くらいだ。今から出て夕日を待つならちょっと早くて料金もかさむから4時過ぎくらいにおいで、君のためにタクシーを呼んであげるよ」
とのこと。
生き仏様じゃー。
1時間ほどカフェや散策で過ごし、再び戻るとおじいちゃんの友達というタクシードライバーのおっちゃんが待っていた。
おっちゃんのケータイでおじいちゃんと会話し、料金も安くしてもらいいざスターウォーズの名シーン、ラース家の夕日へ!!!
街の道を一本入るともうそこは、、、
砂漠!!!
おっちゃんが「あれを見ろ!!」
その先にはなんと!!
野生だ!!
野生のラクダ🐪
ラクダ使いと一緒にいるラクダは死ぬほど見てきたけど野生のラクダとその群れを見るのはまえてぃー初めてだった。
ってか野生にラクダっているんだ!とすら思った。
胸躍らせること20分。
「着いたぞ!!」
16時40分。
夕日も今からならいい感じに見れるー!
そしてその先には、、、
ん??
スターウォーズすぎる(*⁰▿⁰*)!!
ここはオングジャメルというちゃんとしたスターウォーズのロケ地であり、観光名所にもなっている場所。
いろんなお土産やキャラの格好をした売店の人たちがいる。
観光客もいる。
が、まえてぃーそれらには目も触れずラース家のみを探す。
まずは「ここにある!」って安心してから色々見たい派なんです。
が、いろいろ回ってもあのラース家が見つからない。
ルークの育った家がない!!
それもそうだ。
映画のシーンではラース家は砂漠の中にポツンとあるのだ。
こんな密集地たいにはないはずだ。
少し離れてるのかなーと思いジェダイの格好をした男の子に聞いてみた。
「ここに行きたい」
「、、、ここにはないよ」
「なんですとー(*⁰▿⁰*)💦!?」
どうやらこのラース家は違う場所にあるらしく、ほとんどの観光客はここを目指してくるのでおじいちゃんとおじちゃんはまえてぃーがてっきりここに来たいと思っていたのだ。
そしてそのラース家は、、、
誰も知らない💦
タクシーのおっちゃんがおじいちゃんに電話!!
「おい、ここじゃないらしぞ!!」
何言ってるか分かんないけどなんかケンカみたいになってる。。。
うわー、残念すぎる。。。
激凹みしタクシーに戻る。。。
直感で決めて、ここまでこれただけでも奇跡やなと自分を慰め、来た道を戻る。
戻る。
戻る。
通り過ぎた!?
おっちゃん、どこ行くの??
まさかのおっちゃん、「もしかしたらここかもー」とおじいちゃんと話してたらしく、その方面に向かってってくれていたのだ!!!
なんと有難い!!
時刻は17時15分。
あと15分で日が沈む。
間に合うのか!?
見つかるのか!?
街を通り過ぎ再び砂漠地帯へ。
そして道なき砂地を走り出すタクシー。
360度砂。
「この辺りだ!」
おっちゃんが言う。
視力を凝らしラース家を探す。
今だ‼️
まえてぃーの視力2.0を発揮するのはこの日のためだったのだ!!
タクシーの窓全開で上半身を乗り出し探しまくる。
そしてついに!!!
おっちゃん、アレだー!!!
ほんとに砂漠の中にポツンとそれはあった。
主人公ルークが暮らした家。
実はこれ、撮影後ボロボロだったのをファンの人たちが復活させたんだって^_^
そして、新たな決意を込めた夕日。
こちらです。
誰かに昔言った。
「まえてぃー景色見て泣くことなんて絶対ないわー」
…。
泣いたよね笑
泣いたってか自然と涙が出たのよ。
でもそれは、景色が良かったってよりも、本当に多くの人が協力してくれて、まえてぃーをここまで運んでくれたって感謝の想いからだと思う。
そんな想いで見る夕日は本当これまで見た夕日の中でも何か特別だった気がする。。。
再現、のつもり。
おっちゃんとのシルエット写真、宝物です。
帰りの車内。
おっちゃんが「最高かい!?」
「さいこうだーーーー!!」と叫んだのは言うまでもない。
後から聞いたんですが、この場所はツアーやガイドを雇って来る場合がほとんどで、個人でしかも突然来る奴なんていないぜと言われ、またしてもまえてぃー持ってるわぁと自分で思いました。
何度も言うがそんなまえてぃー、スターウォーズをちゃんと観たことは、ない。
あ、テンション上がりすぎて、
自撮り棒を、
ラース家に忘れた笑
まえてぃーウォーズEP1 タトウィーン星に行ってみた。
昔見たテレビで思った。
チュニジア行きたい!!
なんともアフリカなのにアフリカっぽくないという文化に特別感を持っていた。
そして、エジプトのカイロから往復だと安く行けることを知り、ほぼ思いつき&ノープランでチュニジアへ向かいました🇹🇳
宿代を浮かすこと、見たいものだけは絶対見る!をモットーに、移動は全て夜行バスと乗り合いバス。
最終日だけちょいリッチにシングルに泊まってやろうという魂胆でした。
ざっくり回るとこんな感じ。
4日しかないから今回は下見の気持ちで厳選した場所をサクッと回ろう。
空港は首都チュニス、北部です。
まずは南部のリビア国境方面に向かって激走。
本当はエジプトからリビアを通ってバスで来たかったけど、リビア人の友達に「今はダメ🙅♂️🙅」って止められるくらい治安が良くない様子なので泣く泣く断念。。。
いつか絶対行きたい!と願いながらバスに揺られること7時間。
そして着いた「マトマタ」って街
!!
朝の5時!!
真っ暗!!
明かりも何もない!!
あ、光が見えた!!!
真っ暗なピンチから救ってくれたのは朝5時からやってたカフェでした。
おっちゃんが温かく迎えてくれ、「いつまでもいていいよー」とあったかいコーヒーをいれてくれました。
そして明るくなり向かった先には。。。
タトウィーン星だ!!!!
どっかで見たことありませんか??
そう( *`ω´)
スターウォーーーーーズ!!
の、
タトウィーン星があるのです♪( ´▽`)
映画で使われたシーン🎬
なぜかドアが黄色にチェンジ笑。
ここは主人公ルークのお家。
もともとはベルベル民族のお家。
そして今は!!
ホテルとして泊まることができます(о´∀`о)👍
もちろんこんな遊びもできます。
あの監督も泊まったことあるってんだからファンにはきっとたまらない時間を過ごすことができるでしょうね!!
このタトウィーン星は、ここマトマタからもう少し南に行ったタタウィンって街の名前からつけられたんだよって教えてもらい、またテンションが上がりました( *`ω´)
我ながらkendamasも様になってます。
こんなのどかな街にあるんです。
この1つ1つがお店になってて可愛いです。
とある幼稚園のかけっこに混ぜてもらいました。
そこで驚いたのが、、、
この先生のマント!!
スターウォーズのキャラが着てるマントにソックリ∑(゚Д゚)
コスプレかなー!と思い聞いてみたら「いや、もともとここの民族衣装だよ」とのこと!!!!
こっちが先だったのかー(>人<;)
大変失礼しました。。。💦
にしても田舎だからだろうか。
先生も子ども達もすこぶる優しい。
めちゃめちゃウェルカム感で遊んでくれました。
きっととんでもないフォースが彼らを守ってくれてるんだなぁと感じます( ̄^ ̄)
そうこうしてる場合じゃない!
次の見たいところに行ってみよー!!
そんなまえてぃー、スターウォーズをちゃんと観たことは、、、、
ない。
キリストが誕生した街には価値のあるものが次々と生まれていると感じた話。
イスラエル北部のガリラヤ地方。
その1つ、ナザレの街は、
イエスキリストが生まれた街(*⁰▿⁰*)!
そして、キリスト教の布教を始めたまさに“始まりの地”。
イエスの母マリアがイエスがいるよーって受胎告知を受けたという丘の上に「受胎告知教会」は建っている。
珍しい形の教会ですね⛪️
中に入ると
実際、この周りには多くの観光客やクリスチャンの人で溢れかえっていて、祭壇の前では手をついて祈る人や涙を流す人までいた。
とある団体がまえてぃーに話しかけてきた。
おばあちゃんだった。
どこから来たの?と言われたので「ジャパン🇯🇵」と言うと、
「あらなんてこと、日本のクリスチャンの子よ!」と周りの友達に言ってしまわれたΣ( ̄。 ̄ノ)ノ
すると周りも
「ほんとか!」
「わざわざ遠いところから!」
どしどしくる質問の嵐。
が、
「Oh,yes」
しか、ほぼ答えられないまえてぃーは、
いつしかクリスチャンということになっていた。
佛教大学出身ですけどね( ̄∇ ̄)
あまりこだわらないのが、
日本人の良きところ。
と思おうではありませんか。
でもそのおばあちゃん達の集団もチリから来たっていうんだから相当遠いし、相当想いがあるっていうのが分かりました。
そして教会の内部には、
世界中から寄贈されたマリアやイエスの絵画や壁画が飾られています。
フィリピン
アメリカ
各国の文化や特色が出された作品となってます(*⁰▿⁰*)🖌
そして
もちろん探します。
我らが日本🇯🇵
果たしてあるのかなーとにかい歩いていると。。。
見つけました!!
国名なんて見なくても分かりました!!
それではどうぞ!!
🇯🇵ジャパン🇯🇵
どこから見てもジャパンです🗻🍣👘
聞くところによると、大正時代の日本画家、長谷川路可さんによる作品のようです。
世界の中でも有名なキリスト教発祥の地で、日本の作品がデカデカとそして堂々と飾られる姿を見ることができるなんて、どこか誇らしさを感じます。
始まりの地だっていう荘厳さと、日本もそこに存在しているという発見をありがとう😊
再び街に出て散策をしていると、
なんかパーティーにみたいな盛り上がってる音が聞こえるので向かってみたら、
学校でした。
クリスマスイベントの真っ最中。
ノリの良いジングルベルが聞こえてきていた🎶
チラッと覗いていると、
側にいた大人の人たちが、
“入っていいよ”
と、言ってくれたので、
入ってみた。
日本の学校ではあんまり部外者入れたりしないので、こういうのは新鮮で斬新で助かる(๑˃̵ᴗ˂̵)。
するとそこには
サンタだ!!
サンタが踏ん反り返って座っている∑(゚Д゚)
どうやら音楽やらダンスやらの出し物があってサンタはそれを側で見守っているようだ。
まえてぃーも手を叩いたりイベントのノリに合わせて突っ立っていた。
すると、
か、囲まれた∑(゚Д゚)
まえてぃーを見つけるやいなや座っていた子どもたちが何が面白いのかとにかくまえてぃーに絡む絡む💦
いや、お金もお菓子も持ってないよ!!
な、なんなんだこのパーソナルスペースゼロの子どもたちは∑(゚Д゚)
名前は何??
どこから来たの??
それは何??
そして始まるけん玉祭り。
日本では大人は子どもに順番やらを譲ることが多いと思うけど、これまでの経験上、
外国では大人優先。
それを見守る子どもたち( ̄∇ ̄)
そしてこの子どもたちは人を褒めるのが上手だ。
あなたは優しい。
あなたは可愛い。
あなたの名前は美しい。
…。
まえてぃーは子どもの時、初対面の大人にこんなこと言えなかったよ(*´-`)
でもなぜか1番言われたのは…
あなたはファニーだ。
\\\٩( 'ω' )و ////
ありがとうございます。
最高の褒め言葉です。
ナザレの街はキリスト教もイスラム教もユダヤ教も混在しながら生活している。
そして、キリスト教じゃなくてもクリスマスを楽しむ。
私たちと同じ🎄🎅✨
日本のクリスマスや遊びの話をして、落ち着いたら写真を撮らせてくれた(*´∀`*)
まえてぃーが帰る頃には外までみんな送ってくれました。
そして
メリークリスマス🎁
全ての幸せをあなたに🎁
楽しんで旅をしてね🎁
また来てね🎁
見ず知らずの外国人に、生きる勇気と元気をくれる存在です。
だから気づきました。
この場所にはイエスだけじゃなくて、たくさんのキラッキラッな子どもたちも随時誕生しているようですヽ(´▽`)
【ボスニア】オリンピックのビフォーアフター。今はビフォー。アフターは…⁇
これまでオリンピックは何回くらい行われてきたんだろう。
以前のブログでも書いたがまえてぃーは高校の修学旅行は長野に行った。
そこで長野オリンピックで使われていたスキージャンプ台を見た。
初めてジャンプ台というものを見た。
こんな高さから飛んでるんかー∑(゚Д゚)
「いや命綱もないのに無理や!」と思ったことを覚えている。
そう、オリンピックはオリンピックが終わってからも人々に思い出をくれたり形を変えて楽しませてくれる。
シドニーに行った時もマラソンの高橋尚子選手が金メダルを取った道を歩いた。
バンクーバーに行った時も「浅田真央ちゃんがいた所やー!」と、五輪のモニュメントを見に行った。
そして、2020年の東京オリンピックはなんとしても開会式か閉会式を見に行きたいと模索している。
そんなオリンピックがここ、サラエボでも行われました。
残念ながらまえてぃー1歳。
全く記憶にはありません。
でも、オリンピックキャラクターのグッズが今でもたくさんあったり、オリンピック博物館があったりして、記憶にはないものの、そのゆかりの地に行ってみたいと思いました。
サラエボオリンピックのキャラクター“ブチコ”
ユーゴスラビアに住んでる伝説のオオカミだ(⁎⁍̴̆Ɛ⁍̴̆⁎)✨
そして向かったオリンピック会場跡。
オリンピックのタワーがあるので分かりやすい^_^
オリンピック会場跡は市内中心部から歩いて20分ほどの場所にある。
のどかな公園を超えて、、、
するとそこは…
墓地だった。
オリンピック開催からわずか8年後起こったボスニア紛争。
街を山に囲まれたサラエボは、敵対勢力がその山に常駐。
そして、銃やロケットランチャーで365日24時間狙われた。
“スナイパー”
彼らはそう呼ぶ。
そしてその包囲は4年にも及んだ。
水を汲みに行った瞬間、
学校の帰り道、
仕事に行く途中、
犬の散歩中、
ご飯を食べている時、
寝ている時、
過ごす時間の全てが標的となる瞬間だった。
街中にはスナイパーに撃たれた遺体が溢れた。
スナイパーからの狙撃を避けるために車で作ったバリケード。
どこでいつ狙われるか分からない日常。
でも、
日中は危険なため遺体を回収することもできず、遺体の収容は夜中から明け方に行われた。
墓地にいた守衛さんに写真を撮らせてもらっていいかと質問すると、“いいよ いいよ”と言ってもらったので、手を合わせてから数枚撮らせてもらった。
オリンピック開催からわずか8年後。
いったい誰がオリンピック会場が墓地になることを想像できただろうか。
お墓の多くは紛争のあった1992~1995年で時が止まっていた。
まえてぃーと同い年の子もいた。
その子は12歳で時が止まっていた。
この子の時が止まった時、私は小学校6年生で、卒業したくないなぁとか、誕生日には新しいスーファミのソフトを買ってもらおうとかしか考えてなかったと思う。
そりゃ多少の悩みはあったと思うけど、命が止まることなんて考えてなかったと思う。
2020年の東京オリンピック。
まえてぃーは楽しみで仕方がない。
けれどその8年後。
2028年の日本がどうなってるのか。。。
今はちょっと不安の方が大きい。
平和の「祭典」と平和から一番遠い「紛争」。
この地の歴史から学べることはきっと少なくないはず。
75年前の先生たちはこんな想いをして生徒を戦場に送っていたのかを知る話
今、日本にどれだけ大切な人を戦地に送り出す経験をした人がいるだろうか。
ポーランドからウクライナのキエフにはバスで16時間の大移動。
夜の8時に出て次の日の14時くらいに着く予定。
予定通りバスは来て乗り込むと、なんとほぼ満席💦
どうやらまえてぃーの乗った場所は中継地で、そこ以前からたくさんの人が乗っていた。
しかも全員がウクライナ人。
っぽい。
いやね、ヨーロッパの街中にいるとあんまり分からないけれど、バスの中とか決められた場所にいると人種ってなんとなーく分かります。
このバスには…
プルシェンコがいっぱい!!
女性も色が白くて目が青くて鼻が高くてそりゃもう美しい。
が、
どこに座ろう(゚o゚;;
ほぼ満席で、空いててもカバンとか置いとるし!!
どけてくださいって言う勇気なんてない( ̄∇ ̄)
オロオロしてると1人の青年が、
「ここでよかったら」といって手を差し伸べてくれた。
本当どうしようと思っていたところだったので心の底から嬉しかった♪( ´▽`)
そして彼は続けて、
「でも荷物あるけど…」
と、足元にあるバカでかいダンボールに入った電化製品みたいなものを指差した。
そりゃまぁ多少は当たるし邪魔ですが全然いいです!!
「ノープロブレム」と即答しバスは出発。
お互い無言で30分くらいした頃、
彼がおもむろに飴をくれた。
「食べるかい?」
断る理由なんてないので
「ありがとう」。
彼はウクライナ人。
まえてぃーは日本人。
お互いカタコトの英語と翻訳機で会話スタート。
「この荷物大きいけどなんなの??」
「実は妹たちへのプレゼントなんだ。クリスマスもあるけど、久々に会うから…」と。
彼の名前は「セルヒー」
現在19歳でウクライナからポーランドに仕事をしに来てるらしい。
ウクライナで働くより、ポーランドで働いた方がお金も稼げるので、そうする若者は多いようだ。
セルヒーもその1人で、稼いだお金を家族のために送っているとのこと。
6ヶ月ポーランドで働き、実に6ヶ月ぶりにウクライナの家族の元へ帰るようで、そりゃもうウキウキが見てとれた(*´꒳`*)
にしても、19歳で国を出て家族のために働くとか…
日本でいう高卒だよね。
生徒のみんな、マネできる??
いや私含めやけど。
それからセルヒーはいろんな話をしてくれた。
実家はウクライナの北部で“愛のトンネル”という場所で有名な街らしい。
彼はこの愛のトンネルをよく逆立ちで歩いてるようで写真を見せてくれた。
そりゃもうめちゃ逆立ちしまくってて笑ったよね( ̄▽ ̄)
そして、10歳と8歳の妹たちの写真。
2人とも可愛かったー(´∀`*)✨
金髪で透き通るような青い目をして、3人で自撮りとかしてるんだよ。
見てるこっちがホカホカする絵面だったよ。
そしていつか素敵な彼女とこの愛のトンネルを歩くのが夢らしい♪( ´▽`)
その時はまえてぃーも一緒にって誘ってくれた。
それから一緒に彼のスマホに入ってるゲームをやったり、彼の書いた絵(めちゃ上手くてビビった💦)を見せてもらったり、オモシロ動画を見ては爆笑したり、日本語とウクライナ語を教えあったり、国境では「ここでパスポートを出すよ」とか教えてくれたり、そりゃもう親切で楽しい若者だった。
オモシロ動画でも流血してそうな動画やグロい系のはさりげなく飛ばしてくれる紳士な面もあり、寝る時には自分の上着を貸してくれるジェントルマンだ。
ウクライナの若者はみんなこんな素晴らしいのだろうか…。
結局ほぼ寝ることもなく朝になり、朝日はどっちから出てくるかを当てあっていた。
彼の街にもうすぐ着く。
彼はもうすぐ降りる。
そんな時、
「ウクライナの後はどうするの?」と聞かれたので、
「ハンガリーに行くよ」と伝えた。
すると、
「良かった。ウクライナの東には行っちゃいけないよ。」と言ってくれた。
そう、ウクライナの東部は、ロシアとの情勢が好ましくなく、軍事衝突も起こっている地域。
知識としてもちろん知っていたので、「大丈夫、行かないよ!」と笑って答えた。
すると彼は、
「3年前、兄さんはクリミアで死んだんだ」
「ロシアが兄さんを殺したんだ」
時が止まったような気がした。
知識として知っていた世界情勢が、一気に身近な気持ちとして心になだれ込んで来た。
彼は続けて、
「僕ももうすぐ20歳だ。あの場所へ行かなきゃいけない。」
言葉がなかった。
ウクライナは2010年くらいに徴兵制は廃止された。
でも、このクリミア半島の件で徴兵制が、復活。
20歳以上の若者は、みな軍に行かなければならない。
それすなわち、死ぬ可能性があるということ。
それを避けるために大学へ進学したり国外で就職したりする若者は多い。
が、彼のように家族のために働く若者は必然的に軍に行かなければならない。
…。
こんなに家族思いで、ゲームが好きで、絵が上手くて、愛のトンネルを恋人と歩くのが夢だっていう普通の若者、いや、まだ子どもじゃん。
もし彼に何かあったら妹たちはお兄さんを2人とも戦争で亡くすことになる。
どうしてこんな若者が戦地に行かなきゃならないんだろう。
分からない。
授業で戦争とかの話になる時、まえてぃーも言ったことある。
「絶対あんたら(生徒)に戦地に行けとか、国のために戦ってこいとか言えないわー、ってか言いたくないからね( ̄∇ ̄)」と本気と冗談の間で良く言っていた。
自分の生徒が戦地に行く。
それを前向きに送り出す。
戦時中は、立派に戦地に送り出すことが正しいとされた。
でも今思う。
きっと正しいとされてても、みんな絶対辛かっただろうって。
そして今この時代にも戦地に行く若者がいて、送り出す人たちがいる。
あ、吐きそう。
泣きそうをもはや通り越してくるこの感情。
保育園で先生やってる友達。
幼稚園で先生やってる友達。
小学校で先生やってる友達。
中学校で先生やってる友達。
高校で先生やってる友達。
大学で先生やってる友達。
子どもを応援する仕事をしてる友達。
目の前の子どもたちに、
生徒に、
「戦争に行って来てくださーい」って言える!?
私、ついさっき会っただけの若者に対してこんなでした。
本当。
国って何のためにあるんだろう。
日本も近隣諸国とのゴタゴタは領土問題や歴史認識などにおいて続いている。
一回日本人全員でそれらに対してどうあるべきか話し合う機会がってもいいなと思う。
まぁそれができないから、
でも、それに近づけるために選挙なり国会があったりするわけで。
ミサイルが本当に1回でも日本に当たって被害が出た時、日本としてはどんな対応するんだろう。
自衛隊の人たちに「戦ってきてください」って言うのか、若者たちに「仕方ない時代になったね」と言って戦地に送り出すようになるのか…。
実際、旅に出てから外国の人に、
「よく日本はあんなにミサイルが飛んでくるのに生活してるね」と言われたことがある。
セルヒーの街に着いた。
別れる時、セルヒーにカンボジアで買ったミサンガをあげた。
地雷で足を無くした人が作ってくれたモノだ。
『きっとこれがセルヒーを守ってくれる。
あなたはまだ死んではいけない。
家族と一緒に楽しい時間を過ごさないといけないし、可愛い恋人と愛のトンネルを歩かなきゃいけないからね。』
そう言うことしか出来なかった。
きっと彼がロシアの若者だったとしてもまえてぃーは同じことを言ってたと思う。
争い…
祈るだけじゃ無くならないのかなー、、、
きっとまた会える。
ウクライナ語で名前を書いてくれた。
街中では軍系のポスターが多く見られる
こういうことなのかな。。。
日本もみんな優しいけどここまで外国人にできるのだろうか…(;_;)
この1枚のレシートに勝てる優しさがあるのだろうか。
これまでも大なり小なりいろんなトラブルはあったけど、あまりどの国のどの街でとは言ってこなかった。
もしそれを言ってしまったら、
きっとその国にたいして、
“怖い”、
“危ない”って
先入観を持たせてしまうと思ったから(*´ー`*)
そして、
何よりも出国前、
まえてぃーの耳には世界危険説が数多く流入してきていたので、
こんなことを言って、
「ほーら、やっぱり世界は怖いじゃない」とか、
「これに懲りて大人しく帰ってこい」とか、
「日本が1番、日本が」みたいに、
「世界」に対してや「旅」に対して否定的な意見が聞こえるのが怖かった。
もちろんそんなのは自分次第だけど。
でも!!
今回の件が起こったのは「ポーランド」です!!
なんとものんびりしてそうな名前の持ち主の国、「ポーランド🇵🇱」。
なんでそんなに国名を大々的に言うのかというと( ̄^ ̄)
ポーランドで負った悲しみは、ポーランドが癒してくれるからです(о´∀`о)✨
本当に助けられました!!
一緒に被害にあったドミコは、
自分のことでも大変なのに、
私の分まで警察に状況を説明してくれたり、疲れたろ?って言って夜食を差し入れしてくれた。
そして、
警察へは2回も一緒に来てくれて、
「通訳がいないから対応できない」 って冷たくあしらう警察官たちに食らいついて、英語の通訳を呼んでくれるよう説得してくれた。
本当に私のヒーローだ。
これからも感謝してもしきれないだろう。
見送りまでしてくれたドミコ。
日本に来たら盛大にもてなしたい。
その夜チェックインして来たレイモンドは、
話を聞くなりずっと踊ったり歌ったりして、終始まえてぃーを笑わせてくれた。
お互い言葉は分からないがなぜか終始爆笑。
私はこんなに全力で、なりふり構わず人を励ましたことがあっただろうか。
今はイギリスに住んでいるマットは、この悲しみが癒えるようにと祈ってくれたり、イギリスの魅力や格安の回り方を教えてくれて、ますます旅がしたいと思わせてくれた。
チェックアウトをしたものの、次の日も警察に行かなければならなかったまえてぃー。
でももう宿は満室。
「リビングのソファーでよければ朝まで使っていいよ」と無料で泊まらせてくれた宿のみんな。
確かに「お宅の宿で盗まれたんですけど!」って言ってやりたい気持ちもあったが、とても前向きに居場所をくれたので言わなかった。
でかいソファーで映画見放題🎬
そして朝、ほぼ一睡もしてないまえてぃーに差し出された1枚のレシート。
「君の分払っといたから一緒に食べよう」
大学生のマルコが宿の朝食バイキングをご馳走してくれた。
新鮮な野菜にフルーツにサンドイッチに紅茶。
たくさん話してたくさん食べた。
そして、自分は学校があるからと先に出て行った。
果たして自分が大学生の時にこんな優しさを発揮できただろうか。。。
暖かさで涙が出そうだった。
気分は『千と千尋』の千尋がハクからもらったおにぎり食べるシーン。
そして警察の事情聴取。
息を切らして走ってきてくれたユースケサンタマリアに似た通訳さん。
『お待たせしてごめんなさい。ポリスレポートを完成させましょう』
と言って、部屋に案内してくれた。
どうやらドミコが受付に頼み込んで呼んだ英語の通訳さん。
今日休みだったのに呼ばれて来てくれた。
聞き取りの刑事さんは保健室の先生みたいな優しい女の人だった。
まえてぃーのカタコト英語もニコニコしてくれて、1時間もしないうちにレポートを完成してくれた。
ユースケサンタマリア通訳と保健室の先生。
そして何だかんだ終わった後、「良かったなお前!」、みたいに絡んでくる警官たち。
まえてぃーはほぼ何もしていない…。
みんなが転がしてくれた。
ここに出てきた外国人の人たちは、全員がポーランド人です。
多国籍の人が集まるゲストハウスで、たまたまかも知れないし、運命かもしれない。
日本と同じ。
「日本ってこうなんでしょ?」とか言われたら腹立つのは、その面だけじゃないのを知ってるからで、1つ1つの外国も、いろんな側面を持っている。
国が人を決めるんじゃない。
人が国を決めるのでもない。
実際この3日で、
トラブルは1度だけど、
もらった優しさはその数倍。
そして日本からも、
暖かい励ましのコメントやメッセージをくれたり、
私の分まで怒ってくれたり、
笑かしてくれたり、
次に進む原動力をたくさんもらえました。
本当にありがとうございます。
きっとこれは序章で、まだまだ何か起こる予感しかしないけれど、
けっこう今、元気です。
なぜかって!?
みなさんからの「優しさバファリン」が効いてるみたいです。
この世界にはバファリンが溢れている。