【ベトナム】ベトナムに砂漠があるのはまだそんなに知られていないみたいだ。
ホーチミンからバスに揺られること5時間ほど。
アジアを旅するようになって、バスで5時間とか言われても「あ、近いじゃん」って思うようになった自分がいる。
これは成長なのか適応力がついたのか、はたまたゆとりがあるからなのかお金が無いからなのかは分からないがただ一言。
バックパッカーには“助かる”という事実だ( *`ω´)👍
そして!!
着いた先はまえてぃーがとっても楽しみにしていた場所(о´∀`о)。
その名も“ムイネー”。
なんてかわいらしい名前。
ベトナムと言えばホーチミンに始まりフエやホイアンやハノイなんかが日本では有名で魅力的だと思うけれど、まえてぃーはどうしてもこのムイネーに来たかった。
その理由がコチラ!!
“砂漠”
キレーでしょう(о´∀`о)。
世界の旅人が好きな砂漠といえば、やっぱりサハラ砂漠さんとかゴビ砂漠さんとかが有名と思うけれど、マイナー志向のまえてぃーは断然ベトナム派です笑。
(きっとサハラ砂漠さんにも会いに行くと思うが💦)
ベトナムに砂漠があるってことはあまり知られていないらしい。
こういう時に先生やってて良かったなって思う(*⁰▿⁰*)
そして。
今回もやっちゃいます!
外国で“朝日”を見よう大作戦!!
カンボジアでは朝日も夕日もベリークラウディだったため見ることは出来ませんでしたが、ベトナムではきっと見えるだろうとのことで挑戦!
日にちが1日しか取れなかったので今回は“朝日”を選択。
ツアーではジープで行けるということでジープに乗りたいがためにツアーに参加しました。
また詳しく書きますが、ベトナムではジープを利用したツアーが多くあります。
それはなぜかというと、今から約40年ほど前に起こった戦争。
ほら、アメリカ軍ってジープ乗ってるイメージありませんか??
そのアメリカの置き土産を今もベトナムでは観光用として使っていることが多いってことです( ̄^ ̄)。
はてさていよいよ出発です。
その時刻!!
4:00Σ( ̄。 ̄ノ)ノ
もちろんAM!!
毎回朝日を見るときは拷問かと思いながら起きています。
が、その度に朝起きれることに感謝してます👍
すでにドライバーのお兄ちゃんは到着済み。
軽くあいさつを交わしジープは予想外の猛スピードで砂漠に向かいます。
国道らしき道をジープが激走。
うん、なんかカッコいい。
ぶっ飛ばすこと40分。
“ヘイ、着いたぜ。降りろ”との声。
そして“ここからは砂漠用のジープで行くか歩いていくかだ”とのこと。
砂漠用のジープとは、現在地から朝日が見えるスポットまで片道だけジープで送ってくれるってやつのようです。
もちろん別料金。
まえてぃーは砂漠を歩きたいので迷わず“歩く”を選択。
(もちろんお金も無い😂)
が、これが思いのほかキツイ💦
砂漠ってさ、“砂”なんだよ。
砂浜より深っいのよ砂が!!
足がね、埋もれるのよー!!
一歩踏み出しては砂の中、一歩踏み出しては砂の中。。。
お、重すぎる。。。
そしてみなさん、忘れてはいませんか?
朝日には、
“時間がある”ということを。
その時間までに朝日が見られるスポットまで行かないとせっかくの朝日が見れなーい!!
ズリズリと歩くまえてぃーを余所に意気揚々と片道ジープたちが追い越していく(>_<)
そりゃもう“俺たち早いだろー”みたいな感じで。
キレる。
本当にキレる(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
絶対歩ききってやると誓いズリズリと歩く!!
すると片道ジープたちが止まっている丘が見えた。
あの丘までいけば朝日が拝める!!
が、ちょっと待って、本当まだ遠いんだけど。
と心が折れそうなったその時!!
まえてぃーのすぐ横にデーンっとそびえる一つの丘。
“ん??”
“ここで良くない??”
高さはあるものの一瞬“おりゃあ!!”って登れば辿り着ける!!
そして方向的にも朝日は見えるはず!!
しかも誰もいないし。
と思いさらに深くなる砂を登る!!
作戦名“水の上を走る忍者”
砂なんて無い。
これは水だ。
早くいかなければ沈む。
と自分に思い込ませることで実にササササーと登りきる作戦。
さすが思い込み名人まえてぃー。
大成功✨
そして見渡す。
“絶景”
片道ジープ達の丘。
白い砂のことから“ホワイトサンド”って呼ばれるらしい。
何この色。吸い込まれそう。
“また来るからなー”って叫ぶ。
“キツネ”
砂漠の地平線に“月”
あいにくここでも完全な朝日は見られなかったけれど、朝日に照らされた雲と白い砂が織りなす光を感じることが出来ました。
月と太陽を同時に見られる瞬間って、なんか良いですよね(´∀`)。
時刻は6時30分。
1日の始まりに1日の集大成を見た気がした。
でも朝日は「これを力に今日も1日頑張れよー!!」ってパワーを私たちにくれてるのな…なんて思ったりした。
朝日が8時くらいに上がればな…と無粋なことを考えたのは秘密ね😛
帰りはゆっくり歩いて帰っていると、“近くに赤い砂漠もあるよ”とのこと(=゚ω゚)ノ
“そりゃ行きます絶対!!”ってことで赤い砂漠にも参りました。
もともとツアーには2つの砂漠って書いてあったらしいけどまえてぃーは1つだと思っていたこの語彙力の無さを誉めてあげたい😂
なぜ誉めるのかって??
サプライズされたみたいで嬉しいじゃないですか(°▽°)✨
い、言い訳じゃないし。。。
知らなかったからこそ、分からなかったからこそ得られる喜びがあるんだよ、人生には。
分かったかい、生徒諸君( ´ ▽ ` )ノ
赤い砂漠“レットサンド”
この赤砂と青空の組み合わせって最高✨
鳥取砂丘を思い出した。
砂は熱いし太陽も暑いけど、なんか応援されてる気分でこれからも頑張ります╰(*´︶`*)╯
次はベトナムの妖精に会いに行くよー!!
【ベトナム】戦え!そこにワニがいる限り!!(後編)
いざワニ狩場!
ではなくワニ釣り場!!
おぉー続々と挑戦者がいらっしゃいますね。
にしても。。。
めっちゃいるやんΣ( ̄。 ̄ノ)ノ
心が沸きだってまいりました!!
どうやら釣り竿とエサをここで購入するようです。
その値段!!
“30円”
か、買えてしまう。
この貧乏パッカーまえてぃーでも買えてしまう良心的お値段。
感謝の心を伝え竿とエサを購入。
エサっていっても肉塊!!
なんの肉か分からんけどめっちゃでっかい肉の塊をゲット。
これBBQしても美味しいかも…と思いながらセッティング完了。
周りに集まるちびっ子たちをひっさげいざ挑む!!
たら~っと…
ゆ~っくり…
ワニの口の方へおろしていく…
が、
奴らもバカじゃないようだ!!
中々食いつかないではないか。
向きを変え方向を変え両手に力を入れるまえてぃー。
その瞬間!
バグッ!!
グイッ!!
ブチッ!!
シーーーーーン。
お、終わった。
Winner ワニ🚩
まえてぃー敗北🏳
しゅ、瞬殺だ。。。
瞬殺だったのだ。
“瞬殺”という言葉はもはやこの瞬間のために作られたのではないかと思うくらい瞬殺だったのだ。
悠々と背中を向けるワニ。
ちびっ子に「あーあー」という目を向けられるまえてぃー。
悲観悲嘆完全敗北。
なんとも静かな後の祭り。
嘲笑いもせず日常に戻るワニ達。
もはやすみませんでしたとしか言いようがない。
呆然としたままその場を立ち去るまえてぃー。
そして、やっぱりワニはカッコいいと実感。
次こそは必ず!!
ワニギャラリー🐊
突如飛び上がるワニ
仲間の上から飛びかかるワニ
ワニの縦列駐車
流し目ワニ
人形かと思ったらホンモノで焦ったワニ
ガオーーー。
ホンモノかと思ったら人形で安心して乗れるワニ
調子乗ったら食われます
【ベトナム】戦え‼そこにワニがいる限り(前編)
やって来ました☆
ベトナーーム!!
カンボジアの首都プノンペンからバスで1000円くらいで国境渡れるんだから近いもんです。
島国ニッポンから来たまえてぃーにしたら陸路で違う国に行けるってのは“不安”ありきのワクワクでしかない。
そして、ベトナムに来た一番大きい理由は・・・。
“ワニを釣りたい”
ホンモノです。
魚釣りだってしないまえてぃーですが、ワニは好きです。
あのじっとりと動くまったり感と、光沢のある肌ツヤ感がかっこいい( ̄^ ̄)
見てるだけでも十分ですが、どうやらそのワニ達と釣り合戦ができるらしい!!
そしてやって来ました!!
ワニ釣りが出来るという遊園地!!
“スーティエン公園”です!!
む、向かってきそうだ💦
仏教の遊園地らしく、入って早々仙人みたいなしゃべる人形が「ようこそー」的なことで歓迎してくれました。
揺れながら語りかけてくる。
ご利益ありそう。
な、なんかなぁ( ̄▽ ̄;)
どうやらワニ釣り場はパークの一番奥にあるらしいので、他のアトラクションには見向きもせず向かいます。
なんてったって広い。
が、そこにまえてぃーの足を止めた唯一のアトラクションが。
その名も!!
“ハリーポッター”
えっ(゚o゚;;??
仏教がテーマじゃないの??
ハリーってイギリスっぽいよ。
キリストっぽいよ。
思わず見入ってしまう。
どうやら“お化け屋敷”の様子。
いや、無理だし。
まえてぃー人形のお化け屋敷だけでも一人では入れん。
カナダでずっと生徒にしがみついて絶叫しながら引きずられるように歩いていたくらい無理。
あ、
でも、
好奇心だけはあったんだった٩( 'ω' )و
ので、入ってみた。
・・・。
暗~い中をひたすら進む!!
たまに動く人形にビビる!!
なんだー人形のお化けだけかーと少し安心。
暗くて見えないが決して助けてくれないハリーポッター。の人形。
その時!!
突然前に人影が!!!
「マジで人がやるお化けとかやめてー!!」って思ってたらなんとお坊さんだ!!
オレンジの袈裟を身にまとったお坊さんの集団だったのだ( ̄▽ ̄;)💦
なんて有難い。
あのめちゃめちゃオレンジの袈裟を着た若いお坊さんが5・6人、お化け屋敷を楽しんでいたのです。
しかも写真を撮りながら。
あの袈裟の中にどうやってスマホやらデジカメとかが入ってるのか見てみたいし聞いてみたい。
でもまえてぃー一応女性だし文化も知らないしダメだと思いガマン。
が、ここで衝撃の光景∑(゚Д゚)💦
突如デカめのお化け人形が上から現れた!!
そしてビビらしてすぐに上に戻った!!
すると一人のお坊さんが!!
しばいたΣ( ̄。 ̄ノ)ノ!!
それはもうバレーボールのアタックをするがの如く。
・・・
“お坊さんもビビらされたらキレるんやぁ。。。”
とても勉強になりました。
やっと出口に出るとお坊さんたちの集団は爽やかな笑顔で次のアトラクションに向かっていきました。
笑いながら次のアトラクションへ向かうお坊さんたち。
ちょっと坊さんに親近感が湧いた瞬間でした。
さて、まえてぃーはワニ探しに行こう。
卒業を迎えたあなたに。
“この度はご卒業おめでとうございます”
いつもテキトーで、先生らしくない服装で、「にぎやかし」と「ひやかし」だけが取り柄だったまえてぃーが、実は使える「敬語」と最高の「尊敬」を生徒に送る日があります。
それが、
“卒業式”
私の所属していた通信制高校は2学期制で、3月と9月に卒業式がありました。
9月卒業は、もちろん人それぞれですが、個々の理由により卒業時期を延ばしたり、前の高校を退学して編入で入学してきた子が多く、いわゆる“訳あり”の中でも“訳あり”と呼ばれる子たちかもしれません。
でも紆余曲折した彼らの高校生活の中に、人知れずの努力や苦しみ、葛藤があったことを少しですが知っています。
そして、彼らが迎える“卒業”という日が、とても意味のある日だということも。
今日はそんな卒業を迎えた彼らを心の底から称えたいー!!
“先生、卒業できました”
遠く離れた外国で、あなたからの嬉しそうなメッセージを受け取りました。
入学(転校)当初は、新しい生活を頑張るんだ!と意欲に溢れていました。
でもその途中で、卒業という日を全く想像できないくらいの日々と葛藤がありましたね。
今を生きるだけで精いっぱいだった。
「何のために生きるのですか?」
「僕はもう先生の期待に応えられることはできません」
期待を押し付けたつもりなんてなかった。
私は、あなたより年上で、少しだけ長い時間を、あなたより生きてきました。
少しだけ多い経験を、あなたよりしてきました。
少しだけ多く知識もあったかもしれません。
でも、あなたのことを理解する心が、あの時の私にはありませんでした。
あなたは止まった。
それは人から見たら「挫折」と呼ばれることかもしれません。
「人生終わった」
そう思えたことだったかもしれません。
でも、あなたはあなたでした。
人より多くを考え、誠実に生きようとしていた人でした。
人より多く自分を苦しめ、人より多く他人に優しい人でした。
だからこそ、暗い時間の中でもあなたはあなたの中に光を、希望を見出すことが出来、再び立ち上がることができたのだと思います。
「1人じゃない」とか言われたって、キレイごとにしか聞こえない。
「生きてたらいいことある」なんて言われたって、今までそんなこと無かったし、これからだってきっと無いって思うでしょう。
「あなたが生きてくれてるだけで嬉しい」って言われたって、じゃああなたのために生きなければならないのかと自分をとことん追いつめて、苦しむこともあるでしょう。
それでも、この世界は生きる価値があるの?
私は今でも分かりません。
でも、どんな人も笑顔になる瞬間があるということを私は信じたい。
そして、そんな瞬間が私は好きです。
“そんなゲームあるの?”
“そんな考えがあるの?”
“そんな生き方があるの?”
“そんな景色があるの?”
“そんな人になりたいなぁ”
新しいものを発見した時や気づいた時、人は無意識に笑顔になります。
私はそれを「生きる意欲」だと勝手に思って、それを一緒に見つけることが先生の意味なのかなって思っていました。
“あなたはどうしたい?”
こればっかり聞いていたので「先生らしくない」、「もっと導けよ」って言われたことありました。
でも出来なかった。
私に人の人生を決める資格なんてないんです。
たとえ若く未熟な子どもだったとしても、自分で決めるという生き方をしてほしかった。
限られた選択肢を可能な限り広げ、自ら切り開く力があなたにはあると思ったから。
そしてそれは、
誰とも関わりたくないと決して部屋の扉を開けなかったあなたも、
自分を傷つけ、血を流すことでしか生きる実感が持てなかったあなたも、
強がってばかりで布団の中ではずっと泣いてたあなたも、
ケンカにバイクに明け暮れていたあなたも、
あまりにも長い時間学校に来なかったので自分が在籍していることすら忘れてしまっていたあなたも、
みんな、進む意思と力があったからこの卒業という日を迎えられたのだと思います。
そうじゃないと通信制高校を卒業することは難しいですよ。
この日はきっとこれからのあなたに自信という土台をくれます。
でも、覚えておいてね。
完璧な人生なんてない。
思い通りの人生なんてない。
これから進む道も、きっと予想できないことばかり。
私には7月に会おうねと約束をしたまま、眠り続け目覚めない友達がいます。
眠ったままのパートナーが目覚める日を、今か今かとずっと側で待っている友達がいます。
生きることに悲観し、全ての縁を自分から切った友達がいます。
その力になりたくても、何もできない自分に苦しむ友達がいます。
夢と現実のはざまでもがく友達がいます。
一歩踏み出したところで上手くいかないと泣いている友達がいます。
そして、私自身も生きるたびに何もできないことを痛感し、イキイキ見せるだけで精一杯で、このままでいいのかと不安を背負い日々を過ごすこともあります。
でも、そのどれもが“生きる”ということです。
それぞれの自分を抱えながら歩くということが“生きる”ということだと思うのです。
他人と比べたり、勝手に自信を無くしたり、なるようになれと自暴自棄になるのもいい。
でも、どんな理不尽で、不平等だと思う状況も、この世界では起こりうること。
前向きに生きろなんて言いません。
時にこの世界は、自分には眩しすぎる時もある。
眩しい時は目を覆うでしょう?
雨が降ったら傘をさすでしょう?
雷が鳴ったらおへそを隠すでしょう笑?
自分を守ったっていいんです。
私自身も、授業で言ってたと思うけど、 同窓会の会場に入るのに勇気がなくて10分20分も会場の前でウロウロしてたようなチキンです。
でもチキンはチキンなりに、ネガティブな奴もネガティブなりに生きてくことはできるんです。
みんなが過ごした高校生活は、人よりちょっと違うものだったかもしれない。
人よりちょっと時間をかけたかもしれない。
でもだからこそ、見えるものがあったってこと、きっともう分かってると思う。
どんな道でも大丈夫。
どんなペースでも大丈夫。
どんなあなたでも、きっと大丈夫。
だからどうか、自分の全てに、人生の全てに悲観しないで。
人にはその人だから見つけられる道も、進む道もあるんですから。
世界は広いってこと、SNSだけじゃ分からないこと、今、たくさん見ています。
それ全てが“可能性”になってくれてると思います。
そして、保護者のみなさん、本当にこの日まで“頑張らはった~!!”
我が子が生きてるのか死んでるのか分からず、鍵穴からのぞき込んでた日々もありましたね。
他の同世代の子と比べて、どうしてうちだけ…と涙したこともありましたね。
近所の人や親戚からの目が怖かったり、もうこのまま一緒に死ぬしかないんじゃないかと思ったり…そう吐露されていたこともありましたね。
でも、
“生きてて良かった”
みなさんの宝物は、私たちの予想よりもはるかに強く自ら輝く宝物でした。
まだまだスタート地点なのかもしれませんが、“信じる”ことと“待つ”ということの暖かさを、私はみなさんから教えてもらいました。
そして何よりも、もがきながら、苦しみながらも生きようとする彼らの姿に、私も自分の力を、時間を、そして命を、精いっぱい使いたいと思え、新しい世界に出ることが出来ました。
いつだって、私の背中を押してくれる原動力はみなさんの宝物たちです。
本当に、出会わせてくれてありがとうございました。
遠くから無責任ですが、ここラオスから感謝とエールを送ります。
そして、生徒諸君!!
これは卒業式を迎えるたびに言ってきたことですが。
ぜったい親より先に死んだらあかんよ。
色んな関係や想いがあるのは分かってる。
でもぜったい生きてください。
大人になることが出来なかった子がいます。
大人になる子を、見ることが出来なかった親がいます。
どう頑張っても限りある命です。
使いに使いまくって生き続けてください。
親が先に亡くなった人もいると思います。
その人は、親が見られなかった景色をたっくさん見てください。
ぜったい幸せになってください。
ぜったい自分で幸せを見つけられる人になってください。
その力が、きっと今のみんなにはあるから。
本日は本当にご卒業、おめでとうございます。
みんな大好きだー!!!
まえてぃーより
ステキな誕生日をありがとう♪
【カンボジア】住むように旅して、旅するように住んでみて思ったことはやっぱりコレ。
『住むように旅をする。』
この響きに憧れて、“いつか”“いつか”を連発していた去年までの私まえてぃー。
漠然とした思いでしたが、意を決して実行してみて本当に良かった。
もともと海外旅行は好きでした。
高校生の頃にオーストラリアにホームスティ体験をしたのが始まりでした。
そして、英語が話せなくても身振り手振りで何とかなって、すっごい楽しかったから、
“人類みな兄弟ですね~。だから英語は勉強しなくてもいいって思いました”って先生に言ったら怒られました笑。
もちろん今は勉強しなかったことを後悔している…。
そしてそこからカンボジアやインドネシア、韓国に中国にフランスにドバイにカナダにアメリカなどなど。
ちょっとでも長い休みが取れる度に出かけていました。
イコール、日本が好きじゃなかった。
“仕事ばっかで疲れる”
“気を遣ってばっかで疲れる”
“誰も知らないところに行きたい”
とか思ってたわけです。
でも、
それは「日本」が悪いんじゃない。
本当は自分でも分かってた。
改めて思う。
日本で上手く息が出来ない“自分”が嫌だっただけ。
“逃げ”の場所と、“知らない居場所”を求めて海外に行ってただけでした。
実際、仕事を辞めて時間的な拘束や、するべきこと、求められる責任が無くなってカンボジアに1か月の滞在。
出会う人には「いいね!」とか「羨ましい」とか「チャレンジャーだね」って言われました。
自分でもそう思います。
でも、それと同じように「帰って仕事をする人」や、「ボランティアで頑張ってる学生」や、「ここカンボジアで働いている人」を見るたびに、羨ましく、カッコいいと思う自分がいました。
“何かのために頑張ってる”
“誰かのために頑張ってる”
“誰かに必要とされている”
自分もそんな中にいたはずなのに、今は遠く離れてみている。
そして、そんな人たちを、羨ましく思っている。
“無いものねだり”
圧倒的な“無いものねだり”を実感。
でも。
何もすることを強制されない今だったからこそ気づけたこと。
その中で、自分の旅をどんな風にデザインするかをまた考えていこうと思います。
出会ってくれた人たちに“オークン”
(感謝)
ロシアンマーケットより。
【フィリピン】衝撃!バジャウ族と日本人。
全ては1枚の写真で伝わる♪( ´▽`)
マサイ族に首長族。
この地球上には色んな個性豊かな民族がたくさんいるということは知っていた。
そしてこの日、ここフィリピンにも、実に個性キラキラでチャーミングな民族がいることをまえてぃーは初めて知ったのだ。
その民族の名は「バジャウ族」。
セブ島のマンバリン地区という場所で生活している。
そんなバジャウ族の中に、なんと!とある日本人が一緒に住み、バジャウ族とキャンプに行けるツアーを企画しているとのこと。
これは民族大好きまえてぃーにとって興味津々の企画( ´ ▽ ` )ノ
教えてくれた友人に感謝。
そして、フィリピンで出会った友人たちと共にバジャウ族が住む地区へ行きました。
「バジャウ族は漁をして暮らしていて、水上の上に住んでるんだよ~」と言われ、「あ、水上コテージ的な場所に住んでるんだ」と思ってた。
はい、それがコチラ。
ん???
んんん???
んーーーー????
日本人が見たら衝撃的な光景かもしれないね。
下はゴミ溜め!?って思うかもしれないけど元々は海。
生活で出たゴミや排泄物をそのまま下に落とすからこのような光景に∑(゚Д゚)💦
並んで楽しくトイレ中😂
あまりにも普通すぎて、“捨てる”ってよりただ“落とす”って印象を受けた。
みなさん、ここ、住めます??
『無理でしょ〜』って声が聞こえてきそうですね。
なんてったって隣の家に行くのに命がけ笑
落ちたら…なんて考えたくない((((;゚Д゚)))))))
一生のトラウマかもしれない…。
絶対住めない…と思っていた。
が、
そんな不安や息詰まりは、ここで暮らす人たちの「顔」を見ると一瞬で吹き飛ぶよ。
どこの地域も国も、子どもが笑ってたらそれは幸せの証。
一緒にバスケット、させてもらいました。
途中、ボール当たったおばちゃんがゴールをぶんどって破壊した光景はまえてぃーの中に強烈に残ることでしょう笑。
そして、今回の企画をしてくれた日本人が住むという場所へ。
ご紹介します!
松田 大夢(まつだ ひろむ)さん
新潟県出身。
現在22歳。若い!!
世界を旅する中で、バジャウ族と出会い、その生き方に魅力を感じ、家を建て、一緒にバジャウ族のコミュニティに暮らすことになったそう。
そして、自身もビジネスを立ち上げ、集落の一部にゲストハウスを建設中とのことΣ੧(❛□❛✿)🚩
バジャウ族の生活のため、そして、日本とバジャウ族とを繋ぐため、このゲストハウス建設を始めたそう。
資金の多くはクラウドファンディング。
たくさんの人がヒロムさんの夢に共感し、応援し、協力を申し出てくれたようです。
そりゃまえてぃーももっと早く知ってたら…って思いましたよ。
こんな異国で、たった一人で、10歳も年下の若者が、その国の人たちのために、自分でできることを模索し、何よりも『実行』してるんですから。
この話だけで勇気をもらえるものです。
海の上に…
みんなで造るゲストハウス。
どんなゲストハウスができるんだろ〜と思いながら船に乗って海に出て、、、
バジャウ族の演奏と歌をBGMに、、、
ウニを採る!?
さすが海の民!
重りも何もつけないのに水深2Mくらいまでまえてぃーをひっぱっていってくれてウニを採らせてくれました。
もう、そりゃものすっごい感動です。
そんな時、人は『採ったどー』って叫ぶんですね。
そしてその場で食べる(⁎⁍̴̆Ɛ⁍̴̆⁎)
日本のウニとはちょっと違って“甘さ”が多くて美味しぃ〜✨
魚だって漁れちゃいます笑
キャンプをする島について早速夕食つくり。
まえてぃー達はゲストだからって全部バジャウ族のみんなが料理してくれるんだけど、それがめっちゃ手際よくてワイルドなんです。
鳥だってさばきます。
まえてぃー、鳥をさばくのをこんな間近で見たのは初めて。
でも、しっかり見たよ。
バジャウ族の人たちもフィリピンの人たちも、ニワトリのこと、頭から足まで全部食べます。
主にムネ肉・モモ肉しか食べない日本人とは違うの。
全部、ムダにしないんだよ。
そりゃ最初、「え、頭も食べるの?」って思ったけど、食べてみた。
唐揚げにしてくれて食べてみた。
そしたらね、すっごい美味いんだよー。
足の先まで食べちゃいましたよ!!
魚にしてもニワトリにしても全ていただく。
命をいただく。
改めて、「いただきます」と「ごちそうさま」の大切さを学びました。
豪華絢爛!!バジャウ族フルコース✨
全て手掴みでワイルドに頂きます!
が、どれを食べても本当美味しい。
塩の味、素材の味、空気の味。
そして、人の暖かさの味。
もーたまらんわけよ!!
食べて、飲んで、歌って、踊って、日が沈んで寝て、日が昇って起きて、、、。
人間らしいって何かはよく分からないけれど、人間は自然に生かされてて、自然と共に生きてるんだなってことは分かった気がした。
バジャウ族は井戸端会議も海の中です🏖
ヒロムさんに、バジャウ族の魅力って何ですか?って聞いてみた。
そしたら、
「頑張らないところじゃないですか」って。
日本で通っていた高校を3日前に辞めたヒロムさん。
その高校へはドレッドヘアで通っていたヒロムさん。
現地の言葉でみんなと笑いあったり、相談したりしてるヒロムさん。
自分の考えをしっかり伝えてるヒロムさん。
そして、バジャウ族のために行動しているヒロムさん。
たった短い間だったけど、どうして彼がバジャウ族のみんなに好かれているのかが分かった気がした。
そして、まえてぃー自身もバジャウ族の魅力に触れて、「ここで生きるのもいいな」と思えるようになっている自分に驚いた。
そんなヒロムさん、日本のテレビに出ます!!
番組名:『グッと!地球便』
日時:9月24日(日) 朝10:25~
内容:海外で奮闘する日本人(ひろむさん)と日本にいる家族を繋げるドキュメンタリー!!
見たさ度:★★★★★(MAX)
みなさん要チェックでお願いします。
【カンボジア】テレビっ子だったおかげで10年ぶりの奇跡の再会を果たせた話。
こんにちは(*゚▽゚)ノ
歴旅中のまえてぃーです。
ここにきて一抹の期待を持ち出しました。
それは、
“ソチアに会いたい”
です。
『カンボジアだった理由』にも書きましたが、ソチアは私が10年前にカンボジアに来た時にガイドをしてくれた人です。
そして、カンボジアの負の歴史や、カンボジア人にとっての日本語と日本人の意味を教えてくれた人です。
ので
ぜひ会ってお礼を言いたい!!
あわよくば私が先生になった経緯を聞いてほしい。
そして思い立った。
“探そう”
いたってシンプル。
が、
どうやって(・・?)
。。。
まえてぃー考えた。
そして思いついた作戦。
の、
協力者。
「過去の自分」登場。
まえてぃーは悩んだ時とか「あ、無理かも」ってなった時、いろんなモノを呼び出します。
「あの時の苦しみに比べたら」、「偉人の人生」、「マンガのキャラの言葉」、「ゲームのシナリオ」、「小説の一コマ」などなど、リアルとか2次元とか関係ありません。
そして今回呼び出したのは、
「過去の自分“テレビっ子ver”」
小学校の頃からまえてぃーは大のテレビっ子でした。
好きなテレビ番組はビデオで録画して何度も観ました。
出演者の会話も覚えるほどでした。
なかでもバラエティは断トツ人気✨
大人数でワイワイガヤガヤしてるのが好きだったのと、ただ笑えたのが好きだったんだと思う。
きっと先生やってる時の「授業」での“質問の仕方”とか“進め方”とか無意識にバラエティ番組から学んでたってとこあると思う( ̄^ ̄)
そして、あれ系も好きでした。
「あの人を探せ系」
お世話になった人、けんか別れした人、生き別れた人、謝りたい人、主人公の会いたい人を探し出す系の番組。
何度ドキドキしたか、涙したか分りません。
ので、
マネしてみよう(=´∀`)人(´∀`=)✨
そしてまえてぃーには心強い味方がいた。
そう、
手がかりがあったのだ。
10年前の写真だ。
なんでかまえてぃ超不機嫌そうな顔笑。
ってのは置いといて、センターにいるのがソチアです。
左がまえてぃーで右が友達のYちゃん。
そしてアンコール遺跡群にはガイドが今でもたくさんいる。
そして超分かりやすい。
日本語ガイドも英語ガイドも中国語ガイドも許可を得ているガイドさんはみんなこの服を着ている。
そして10年後も変わっていなかった。
きっと知ってる人がいるはずだ٩( 'ω' )و
気持ちは探偵。
聞き込み開始👍
“この人知りませんか??”
探すこと数10分。
“見つからない”
なぜだ??
今もガイドしてたら10年以上の大ベテラン。
けっこ知名度もあると思うのだが。。。
ラチがあかないので諦めて宿に帰る。
そして寝る。
気づけば次の日早朝7時。
考える( ̄^ ̄)
やっぱり諦めるわけにないかない💦
そしてこんなにすぐ見つかってるテレビ番組も無かったヽ(´▽`)/
それが“支え”になってくれた。
頭の中でナレーションをする。
「まえてぃーがシェムリアップに滞在できるのはあと3日。時間が、ない。」
気分はドキュメンタリー。
こんな時は、
作戦変更。
『ネット作戦。』
10年前はネットやSNSとか無かったけど今はこれで何とかなることも多い!
名前を検索してみようとするが。。。
ソチアのスペルが分からんΣ(-᷅_-᷄๑)
間違いなくカタカナではない。
根気よくネットのサーフィン。
。。。
ん??
カンボジア『日本語ガイド協会』的なものを発見!!
これだーと思いクリック。
さすが日本語協会的なやつ。
日本語あるやん!!
が、ガイドリスト的なものがあるものの、やはりスペルが分からない。
そしてとあるものを発見。
“お問い合わせメール”
打ってみた✉️。
「ソチアってガイド知りませんか?」
ほぼダメ元。
更新も長いこと無いみたいやから期待半分、投げやり半分。
そして、
特に何もすることなく1時間。
なんと!!
返事が来た!
「こんにちは!ソチアというガイド知ってます。小柄な人ですか?ソティラさんという人もいますが彼は背が高いです。どちらですかね?」とのこと。
マジでー(((o(*゚▽゚*)o)))と『心が叫びたがってた‼️』
が、冷静に。
「小柄な人です。写真あります!これです」と写真を添付してすぐ返信。
するとすぐ返事が来た。
「知ってます。」
おぉぉぉぉぉぉ!!
がその続き。
「が、彼は今ガイドを辞めてます。違う仕事してます。」とのこと。
まじかぁぁぁぁぁぁぁぁぁ(−_−;)
い、いないのか。。。
いや、いるけどいないのか。
湧きだつ心、しおれるがごとし。
「教えてくれてありがとう。残念だけど仕方ないです。」と返信し余韻に浸る。
が、またすぐ返信。
「今でも私は知り合い。連絡とってみましょうか?」とのこと。
めっちゃ良き人ぉぉぉぉ(((o(*゚▽゚*)o)))
「お願いします!!!」と即答。
こんなにこの言葉に思いを込めたのは久々だ。
。。。
ちょっと待つ。
さすが真面目なカンボジア人。
返事キターーーー!!!
「彼は今日の7時半頃からなら空いてるって。ゲストハウス行くからそこで待っててね。」
え、
う、ウソやろーーーーー。
ソチアいたん?
んでソチア来るの?
んでんでソチアに会えるん??
んでんでんで今日なん??
いろんな思いが渋滞。
そして結果。
ソワソワして終日ゲストハウスのリビングで過ごす。
しかも黙って。
何も食べる気にならず、
スマホも触る気にならず、
どこにも行く気にもならず、
ただ時が過ぎるのを待つと同時に、
何を話そう、
何を伝えよう、
何を聞こう、、、
そればかりを考えていた。
ゲストハウスのドアが開くたびソワソワする。
その度にガン見するから驚く宿泊者たち。
が、
今日は許してくれ。
そして7時半。
が過ぎ、
7時40分頃。
ドアが開いた!
入って来た小柄な男性。
ソチアだーーーーーー!!
そして一言。
「ヒロコさんですか??」
「そうですーーーーー!!」
うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!という歓喜(((o(*゚▽゚*)o)))‼️
何事かと驚く宿泊者たち。
「お元気でしたか!?」
「覚えてますか!?」
「わざわざありがとう!!」
なんかいろいろ言った気がするけど忘れた。
くらいテンション上がってた。
ソチアも
「久々ですね~」
「10年ぶりですか」
「探してくれて嬉しいですよ」って言ってくれた。
沸き立つ心、噴火するが如し。
ゲストハウスでワイワイ再会を喜んだ後、一緒にご飯を食べに行きました。
変わらない笑顔のソチア。
まえてぃー達をガイドしてくれた後、ソチアはガイドを辞めて裁縫工場のマネージャーとして働いていたそうです。
衣類などをイオンなどの日系の会社に出荷する会社で、日本とカンボジアの現場を繋ぐ役割をしていたそうです。
そこで色んなことを学んだと話してくれました。
日本人とカンボジア人の仕事に対する価値観や考え方や行動は違って当たり前なので、お互いの理解を得ることに2年くらいかかったって。
『カンボジアは月曜から土曜が仕事です。が、検品でひっかかった製品を出荷する場合、日曜日も働かなければならない。だからみんなに何回も伝えた。
「みんな(カンボジア人のスタッフ)の仕事のペースは分かります。日曜日は家族や自分との時間。でも、日本は時間に厳しいです。これが間に合わなければ契約が打ち切られてお給料が無くなって家族も困ります。どうしますか?頑張りましょう。」と。』
何度言ったか分からないくらい伝えたそうです。
とても厳しい人とも言われたし、理解が得られないうちは辛かったとのこと。
。。。
そりゃそうですよね。
まえてぃーも、
「海外の人って時間にルーズやなぁ」
「仕事テキトーやなぁ」
って思ったことあります( ̄∇ ̄)
でもこれは「日本人の価値観」
“絶対正しい”
“絶対合ってる”とかじゃない。
ただの“違い”
現に私たちも、違いがある残業がない外国の会社や、家族との時間やプライベートの時間をしっかりとれる外国の働き方を羨ましがったりする。
“違い”は“間違い”じゃない。
カンボジア人の人たちに日本の価値観を押し付けるのは気が引けた。
でも、日本の経済はそうすることで回っている。
頑張って日本の価値観に合わせて製品を出荷してくれてるカンボジアの人たちに感謝したいと思った。
そしてそれは「優位」だからしてることなんかなとも思った。
“made in Cambodia”
ぜひ見かけたら心の中で「あ、あれか」と思い出したい。
“made in china”でも“made in vietnam ”でも。
その他にもソチアは色んなことを教えてくれた。
物乞いの人やストリートチルドレンについての考え。
カンボジアの発展と環境汚染。
仏教の教えに近隣国との関係。
自分の夢。。。
どれも深くまえてぃーの心に溶けてった。
そして遺跡!!
10年前と今では入れる場所が限られたりしてることは前のブログで紹介しましたが、ソチアが一言。
『ね、あの時行っといて良かったでしょう??』
ごもっともです(⁎⁍̴̆Ɛ⁍̴̆⁎)✨
昨日まえてぃーが撮った遺跡の写真をニコニコしながら見るソチア。
『ソチアは遺跡が好き⁇』
『もちろん大好きで、今でもガイドの仕事はまたやりたいなって思いますよ。』とのこと。
そして、もっとたくさんの日本人に遺跡観光に来てほしいとのこと。
理由を聞くと、
『日本人の人たちは礼儀もマナーも素晴らしいので、遺跡を壊したりしないし、遺跡にとって優しい人たちなんです。だからたくさん来て遺跡を見てほしい。』
…。
みなさん行きましょうヽ(´▽`)/
褒められてるんです。
待ってくれてるんです。
こりゃ行かないとね(笑)
また、『日本語は“ゴールドの橋”です』と。
日本語のおかげでガイドの仕事が出来た。
日本語のおかげで今の仕事も出来て、より日本とカンボジアの架け橋ができた。
そして今、「無農薬の野菜作り」に挑戦する事業をしてるんです。とのこと。
な、なんですと??
なんと今はマネージャーも辞めて、日本がサポートする「カンボジアで無農薬の野菜を作る事業」をしているそうだ💦
カンボジアで無農薬って先駆的にもほどがある( ̄O ̄;)
『日本の種を持ってきても、カンボジアの暑く雨季のある気候では耐えられずすぐに枯れてしまう...。難しいけど、これからです。』
どこまでも挑戦的で日本と繋がり続けてくれるソチアにはもう尊敬しかない。
いつもおしゃべりまえてぃーだが、聞き続けた。
いや、惹かれ続けたといった方が良い。
そして最後に、まえてぃーの旅のお供。“教科書”にメッセージをくれた。
“健康でいること”
“努力すること”
“礼儀を大切にすること”
“幸せになること”
もちろんアンコールワットの横に。
ソチア、本当にありがとう。
その後、ソチアを紹介してくれたロコさんにもお礼を言うことが出来ました。
そして、まえてぃー。
“また一つ、カンボジアに感謝が増えました”
みなさんも長いこと会ってないけど、心のどこかに引っかかってる人、いませんかT^T
忙しいからとか、もう忘れてるとか、あるかもしれないけど、連絡とってみたり、会いに行ったりしてみるのも良いかもしれません。
もちろん思い通りの結果が来るとは限らないし、逆にダメージを受けるかもしれない。
でも、たとえ思い通りの結果じゃなかったとしても、その後の人生はちょっと気が軽くなるかもしれません。
“素朴”で“知恵”のある“亜細亜”の人。
それ“ソチア”です。
マタアイマショウ!!